2019年10月12日『RIZIN.19』大阪大会で朝倉海との対戦。
結果はわずか54秒でのKO負け。敗北だけでない。この試合の代償は大きかった。
「試合の日が1番きつかった。三連休で先生がいなくて固定が出来ず、顎閉まらないまま口から血が止まらずもそのまま寝る事に。飲み物も飲めず。仰向けだと血で溺れそうになるからうずくまってウトウトするも気づけば布団が血まみれ。結局寝れず」
怪我は深刻だった。このままキャリアが終わってもおかしくなかった。それだけの重症だ。
それでも男はリングに立つことを諦めない。恐怖とトラウマを乗り越え、2020年の大晦日、再びリングへと戻ってきた。
その男は佐々木憂流迦ーー。
今回は”寝技天狗”佐々木憂流迦のキャリアについて紹介しよう。
佐々木憂流迦のプロフィール
名前 : 佐々木憂流迦
生年月日 : 1989年10月7日
出身地 : 日本 静岡県
身長 : 177cm
体重 : 66.0kg
戦績 : 35戦 23勝(2KO)10敗2分け
階級 : フライ級→バンタム級→フェザー級
所属 : セラ・ロンゴ・ファイトチーム
獲得タイトル : 第3代修斗環太平洋フェザー級王座
入場曲 : AA=×JM-0.8 – →MIRAI→ (ポストミライ)
バックボーン : レスリング、柔術
公式HP : −
Twitter : 佐々木憂流迦 Ulka Sasaki
Instagram : 佐々木憂流迦.ULKA SASAKI
YouTube : ULKA CHANNEL
アパレル : LAZY GOD
ファンクラブ : −
プロデビューからUFCまで
PRIDEに魅せられたその少年は、MMAファイターになることを決意した。
当時、日本MMAの絶対的なスターだった五味隆典に憧れた佐々木は、プロMMAファイターを志し、高校卒業後に、和術慧舟會駿河道場へ入門。
グラップリングを得意とする佐々木は、2010年には、ライト級新人王決定トーナメントで優勝を遂げるなど連戦連勝。ちょうどこの時期、日本MMAは豊作の時期で石原夜叉坊、堀口恭司、田中路教、そして佐々木は有望な若手の一人として大きな期待を寄せられていた。
そして佐々木はその期待に応えるかのように、9戦7勝1敗1分という素晴らしい戦績を残し、すぐに日本MMA界のトップ選手となる。
修斗、VTJを主戦場とし、勝ち星を積み上げた佐々木は、2014年に、石原夜叉坊に得意のチョークスリーパーで勝利。その後、ジョン・ジュンフェに勝利を収めると、21戦19勝1敗2分、8連勝という素晴らしい戦績を収める。
「佐々木なら世界で戦えるのでは」
当時24歳という年齢で、これだけの好戦績。もはや日本という枠に収まり切る選手ではないということは、誰がどう見ても明らかであった。そんな中、格闘技ファン待望のニュースが駆け巡る。
UFCでの戦い
2014年7月25日、格闘技ファン待望のニュースが駆け巡る。佐々木のUFCとの契約が発表されたのだ。
佐々木の初戦は契約からわずか1ヶ月、ローランド・デロームとの対戦だった。
UFCデビュー戦。
これまで何人もの日本人ファイターがUFCに挑戦し、打ち砕かれてきた。短い準備期間、初の海外での試合、そしてなんといってもここはUFCだ。佐々木にとってもこの初戦は、決して楽な試合ではない。
佐々木はこの試合、わずか1分で勝利を飾る。
圧勝だった。序盤から打撃で優位に立つと、スムーズにバックを奪い、そのまま得意のチョークで締め上げた。
「夢は、夢っていうか実現させますけど、UFCのチャンピオンです。」
日本人ファイターが誰も成し遂げることができていないUFCチャンピオンへーー。パフォーマンス・ボーナスも獲得し、満点といえるUFCデビュー戦。
これから先、UFCのキャリアで、佐々木はどんな景色を見せてくれるのか。ファンも期待せざるを得ない。それほど佐々木の勝利は素晴らしいものだった。それと同時に、できすぎたデビュー戦に、これからの苦戦を予想する声が噴出したのもまた確かだった。
また当時、UFCは2012年に開催したナンバーズの大会を皮切りに、年1回というこれまでにないペースで日本大会を開催していた。
「日本に限らず、アジアの国々は市場としての可能性はもちろん、いい選手が生まれていて発掘し甲斐があるというのを感じている」
UFCの代表、ディナ・ホワイトは日本に限らず、アジアにおけるMMA市場の開拓の可能性を感じており、その中で佐々木は有望な若手日本人ファイターとして大きな期待を背負っていたことは、間違いないだろう。佐々木に2戦目は早々に組まれ、敵地での対戦にも関わらず、オッズは大幅リードしていた。
しかしこの試合、キャリア初の一本負けという形で、敗北を喫してしまうこととなる。
対戦相手のレアンドロ・イッサは柔術を得意とし、強いフィジカルも持ち合わせたファイターだった。佐々木のテイクダウンは通用せず、逆にグラウンドでいい形を作られると、得意技のリアネイキッドチョークで逆にタップアウトを奪われてしまった。
打撃のプレッシャーを受けると、まっすぐ下がってしまい、相手にとって楽な試合をしてしまう。この試合、佐々木はほとんど何もできなかったと言っても過言ではない。
「やっぱりUFCでは生き残れないのか」
この敗戦に、デビュー戦での快勝が0になるかのようなショックを受けたファンも少なくないはずだ。そして上記のように感じた人もいたはずだ。
そして、半年後に行われたUFC3戦目でも同じようなことが起きてしまった。
序盤からテイクダウンを取ることができず、プレッシャーを浴び続けると、2Rに強烈な左ストレートを被弾し、そのままパウンドアウト。強打を持つタイラー・ラピルーは前進を止めることはなかった。後退する一方の佐々木がいずれ一撃を喰らう結果となることは明白だっただろう。
佐々木とUFCの契約は5試合だ。5試合を負け越した場合、UFCとの契約更新はまず難しくなる。それだけUFCとの契約はシビアで、一戦一戦の重みがある。つまり、すでに2敗を喫した佐々木は、もう負けることが許されない。アジアの市場の開拓に大きな期待を寄せられていたとしても、実力を証明できないのであればUFCで戦い続けることはできない。
もはや、チャンピオンどころか、リリースの危機だ。日本でほぼ負けなしのトップファイターですら、UFCで生き残ることすら難しい。
そして、生き残りをかけた戦いで佐々木はフライ級への転向を決意した。
フライ級での戦い
フライ転向初戦は重要な一戦となった。ここで負けることはUFCでのキャリアの終焉を意味する。
そんな重要な一戦を佐々木は生き残った。
序盤からテイクダウンに成功し、最後は得意のリアネイキッドチョークで締め上げた。ストライキングも負けていない。前回の試合、テイクダウンが取れず、打撃のプレッシャーを捌き切ることができずにKO負けを喫した。しかし、この試合ではテイクダウンに成功したことで余裕が生まれたのか、明らかに動きは軽やかであり、ウィリー・ゲイツを圧倒した。フライ級への転向は、この時点では間違いなく成功であるということができるだろう。
もう負けることができない佐々木に対して、用意された相手は、フライ級ランキング5位のウィルソン・ヘイス。初のランカーとの対戦。それもランキング中位の実力者だ。本来であれば佐々木は、マテウス・ニコラウと戦う予定だった。しかし、マテウスのドーピング違反が発覚し、対戦相手が変更した形だ。
背水の陣での格上との対戦ーー。しかし、裏を返すとこれは格上を喰らうチャンスでもある。この変更が吉と出るか凶と出るか…それは試合が行われるまでは分からなかった。
この試合、佐々木は惜しくも敗れてしまう。本当に惜しい試合だった。この試合で、むしろ佐々木の評価は上がったともいえる接戦だった。
序盤からストライキングで有利に立った佐々木だがヘイスに度々テイクダウンを許し、1、2Rを失ってしまう。3Rも同様にテイクダウンを許すが、グラウンドの攻防でヘイスからバックを奪うと、あわやフィニッシュという見せ場を作った。
結果としては判定負けだったが、勝ちへの執念が見えた試合だった。
しかしどれだけ惜しい試合をしたとしても、2勝3敗ーー。その現実だけが重くのしかかる。新たな契約は絶望的だった。
UFCフライ級は、2012年に新設された新たな階級だ。その他の階級が長い歴史と共に、たくさんの有望な選手を抱え込んでいる。
しかし、フライ級はそうでない。デメトリアス・ジョンソンの絶対王政に対し、新たな風を吹き込ませるために、未来のある有望な選手を欲していた。簡潔にいうと、佐々木はUFCと新たな契約を結ぶことに成功したのである。
『判定のコールされてるときに「ああ、終わったな……」って。』
ヘイスに負けた時、佐々木はUFCとの契約が終えることを覚悟した。UFCでの大きな実績のない佐々木が、負け越しながらもUFCとの契約を更新できたことは異例中の異例だった。
ヘイス戦での最後追い上げがなかった、マテウスと試合をしていた…様々な偶然と、佐々木の踏ん張りが成し遂げた奇跡のUFC残留だ。そして残留が確定した3月から、3ヶ月後、次の試合がすでに佐々木を待ち受けていた。
UFCリリースとRIZIN参戦
新たな契約を結ぶことに成功した佐々木は、6月、シンガポールでの舞台での対戦が決まっていた。
一時は「終わった」と思ったチャンピオンへの夢へ向かい、一戦一戦は常に重要な戦いとなる。
ジャスティン・スコギンズとの対戦では1Rをストライキングで圧倒されながらも、2Rにリアネイキッドチョークで大逆転勝利を収めた。
幸先のスタートを切ることに成功した佐々木は、一時はランキング13位まで上り詰めた。しかし、日本大会でジェシー・フォルミーガに一本負けを喫するなど、勝ったり負けたりを繰り返し、アレッシャンドリ・パントージャとの試合を最後にUFCをリリースされてしまうこととなった。
佐々木の大きな挑戦は終わりを迎えた。しかし、彼のキャリアがこれで終わるわけではない。
佐々木は新たな戦いの舞台としてRIZINを選んだ。
「日本人として日本を盛り上げたい気持ちがあった」
UFCで13位まで登った実力者に対し、様々な団体からオファーがあった。それでも佐々木は、RIZINを盛り上げるために、そして自らの実力を日本で証明するために帰ったきた。佐々木が最後に日本の団体で試合を行ったのは2014年。実に4年ぶりの帰還に、心が躍らないわけがなかった。
RIZINで頭角を表したマネル・ケイプを相手に、佐々木は見事なカムバックを遂げた。
フィジカルとストライキングに優れるケイプを、まるでマタドールかのようにいなすと最も簡単にコントロールして勝利を手繰り寄せた。
「RIZINのリングに出て、強さを実力を証明していくことによって、堀口と戦うことができるんじゃないかと」
日本人として、日本を盛り上げたくてRIZINへと参戦した。そしてそれは「日本人として強い外国人選手を倒すこと」ではない。佐々木が狙うは堀口の首、そして実績、知名度ともに佐々木は堀口の対抗馬として十分すぎる。
しかし、同じように堀口の首を狙う猛者たちは、RIZINのリングでずっと牙を研いできた。RIZINでの佐々木のキャリアも、決して順調とは言い難いものとなった。
石渡伸太郎と佐々木はかつて因縁があったファイターだ。
2014年、石渡がパンクラスを、佐々木が修斗を主戦場としていた頃、佐々木は石渡を挑発した。
その時実現しなかった対戦カードが、5年の時を経て実現したのである。
そして、佐々木は、RIZINで牙を研いできた石渡の前に苦杯をなめることとなる。
序盤から激しいポジションの奪い合いとなったこの一戦。最後は右フックでダウンを奪われた佐々木が、ノーサウスチョークによって敗れた。
頂点までの道のりが長いのはUFCだけじゃない。RIZINも同じだ。
そして次の試合、佐々木はキャリアの危機に直面することとなる。
大怪我、復帰への道のり
朝倉海との戦い、これは佐々木のキャリアにおける最大の試練が待ち受けることとなった。
ハードパンチャーの朝倉との試合で強烈な右フックを受け倒れた佐々木は、なんとかフィニッシュを免れたものの、大量の血を口から流し、すぐさま試合が止まった。
強烈なパンチを受けた佐々木は、顎を二箇所骨折する重傷を負うこととなった。
https://twitter.com/Ulka_Sasaki/status/1183936046683176960?s=20&t=yF-wh8lEPUR5eItIbEqQwQ
それでもこの男はリングに立つことを諦めようとはしなかった。
手術終わった。
みんなの声のおかげで心を強く保てた。
みんな大好きだよ。
ありがとう。 pic.twitter.com/MfiFFheH83— 佐々木憂流迦 Ulka Sasaki (@Ulka_Sasaki) October 15, 2019
応援してくれる、期待してくれるファンのために再びリングに上がることは決して諦めない。
怪我から約一年、佐々木は帰ってきた。
ストライカーである瀧澤謙太を相手に、恐怖を乗り越え、真っ向からぶつかった。ストライキングでも引けを取らず、試合をコントロールし、復帰戦を白星で飾った。
「ここに立つまでに支えてくれた方々、本当にお礼を言いたいです。」
怪我に苦しむ佐々木をさせたのはファンだった。
「“リングでまた見たい”と背中を押すような言葉を貰って、助けになりました」
試合ができない期間、強くなる努力は惜しまなかった。
UFC時代からの課題だったフィジカルを強化し、組みの強さをさらに強化して帰ってきた。
減量は以前から決して楽ではなかった。身長は177センチ。フライ級どころか、バンタム級でもかなりの長身だ。
そして佐々木は、フェザー級での戦いを選択した。
フェザー級での戦い
佐々木憂流迦は終わってしまった選手なのか。
UFCでのキャリアを経てRIZINへ凱旋した。
かつてランキング13位まで上り詰めた実力者への期待は大きく、修斗時代のようにリアネイキッドチョークで次々と一本を取る姿を楽しみにしていたファンは多いはずだ。
しかし、ここまでRIZINでの戦績は2勝2敗。当初の期待感を考えると、それに応えることができているとは言い難い。
そしてフェザー級にあげた初戦、この試合でも勝利を掴むことはできなかった。
かつて同様に、UFCで活躍した堀江圭功を相手にテイクダウンを奪い切ることができず、ストライキングで主導権を握られて判定で敗北をしている。
そして次戦、クレベル・コイケと対戦。強烈な右フックであわやというシーンを作るものの、こちらもリアネイキッドチョークにより敗れている。
もはやここまでなのか…そう思っているファンは少なくないはずだ。
しかし、佐々木はまだ32歳。そしてフェザー級に階級を変えてからまだ2戦だ。ここから上位戦線に食い込んでくる可能性は十分にある。
UFCに上がって以降、常に逆境の中で戦ってきた。UFC生き残りをかけた戦い、大怪我からの復帰。これらを乗り越えてきた佐々木が、今後さらなる飛躍を遂げる可能性は大いにある。
MMA選手は30を超えたあたりで熟成してくる。そして佐々木はまさに今その時期であり、正念場ともいえるだろう。
UFC参戦後、常に逆境の中で戦う男のこれからに期待したい。
佐々木憂流迦の知りたいトコ
モデルとしても活躍!アパレルも展開
177センチという高身長、長い手足、抜群のスタイルと、端正な顔立ちをしている佐々木憂流迦。さぞかしモテたことは想像に難しくないが、かつてはモデルとしても活動していた。
この投稿をInstagramで見る
ファッションセンスも抜群で、自身のブランド「LAZY GOD」を展開している。
この投稿をInstagramで見る
「LAZY GOD」公式オンライストアで購入できるので、ファンの方はぜひ買って欲しい。
佐々木憂流迦の彼女は?結婚してる?
その抜群なスタイルや、端正な顔立ちから、間違いなくモテたであろう佐々木。
佐々木は2017年に現在の奥様と結婚している。
この投稿をInstagramで見る
非常に仲も良いようで、ニューヨーク在住の佐々木を支えてくれているそう。子供は現在いない様子。
いつまでも末長く、幸せにいてほしい。
佐々木憂流迦は本名?
「憂流迦」とは一見すると変わった名前だ。
格闘家はかなり変わったリングネームで攻めてくることが多く、その中では落ち着いているので、勘違いしてしまいそうだが、佐々木憂流迦は本名ではなく、リングネームだ。
本名は「佐々木佑太」だ。では「憂流迦」とは一体どういう意味なのか。
佐々木の以前のリングネームは、「佐々木天狗」だった。しかし、これに対して、
「これは絶対に売れないプロレスラーの名前」
とリングネームを現在のものに変更した経緯がある。
ちなみに「憂流迦」は、古代インドのサンスクリット語で「天狗」を表す。
この「天狗」から現在の」リングネームに落ち着いているようだ。
ちなみに佐々木は「天狗の動き」を目指していると語っていた。
「天狗って人の形してるのに空飛んだりとか、妖術使ったりとか、型がない」
型に縛られない、究極のオールラウンダーが佐々木の目指すファイトスタイルなのかもしれない。
まとめ
これまで、”寝技天狗”佐々木憂流迦を紹介してきたがいかがだっただろうか。
華々しい見た目、入場、その姿とは裏腹な堅実なファイトスタイルと確かな実績。
現在は2連敗中と苦しんでいるが、フェザー級に階級を変更してからわずか2戦だ。これからアジャストしてきた時に、激戦区であるRIZINフェザー級の勢力図を大きく変える可能性がある選手の一人だ。
RIZINができるまで、日本の格闘技がここまで盛り上がっていない頃に、世界で日本人の強さを証明しようとしてきた功労者。まだ32歳と若く、これからのさらなる飛躍、巻き返しに期待したい。
※アイキャッチはRIZINの公式HPより引用