リングの上は戦場。殺るか、殺れるか。まさに侍の様にリング上で、命がけの戦いを続ける昇侍。”瞬殺侍” という通り名のままに、多くの強敵を一瞬でリングに葬り去ってきた。
判定など頭の片隅にもなく、ただ相手を「仕留める」事だけを考えて全力で戦うその侍スピリットに多くのファンが心を動かされ、勇気を与えられてきた。
ファンのみならず、格闘技界内にもファンは多く、様々な選手のSNSやYoutubeに登場し、格闘技以外でもファンを楽しませてくれている。
昇侍が”どのような経緯で”瞬殺侍”と呼ばれるようになったのか、どのような格闘人生を経てこのRIZINのリングまで辿り着いたのか、今回は”秒殺侍”昇侍を丸裸にしていこう。
※画像URL:https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16782696/rc/2020/09/27/f274e5f3baea58fd3d8da77aa86c9ca0b99ad644_xlarge.jpg(RIZIN公式HPより引用)
昇侍のプロフィール
名前 : 丸山 昌治
生年月日 : 1983年4月24日
出身地 : 三重県名張市
身長 : 168cm
体重 : 66.0Kg
戦績 : 17勝17敗13KO
階級 : フェザー級
所属 : トイカツ道場
獲得タイトル : ライト級 キング・オブ・パンクラス
入場曲 : 角田信明 「よっしゃあ漢唄」
バックボーン : ムエタイ
公式 HP :ー
Twitter : @shou0424
Instagram : shou0424
YouTube : 昇侍チャンネル
アパレル :ー
ファンクラブ: ー
RIZIN参戦時にはすでに35歳を超えている昇侍。その心の奥では熱い闘志が燃えさかり、引退という考えなど微塵も感じさせない。昇侍の不屈の闘志はどこからやってくるのか、そして類まれな打撃技術はどう培ってきたのか、まずは昇侍の少年時代から見ていこう。
高校球児からプロ格闘家へ
1983年、三重県名張市で生まれた昇侍、少年時代はプロを目指して野球に打ち込み、日本航空学校に進学後も野球部へ。チーム甲子園にも出場したがベンチ入りもできず、プロへの夢は断念した。その後航空自衛隊に進んだ昇侍だったが、同時に始めていたシュートボクセの練習中に、コーチであるセルジオ・クーニャにスカウトされ、格闘家を目指す。
2005年7月17日、昇侍はU-FILE 18に出場予定だった選手が欠場のため、代替選手として出場。アマチュアの試合さえ経験のない昇侍だったが、なんとプロの選手相手に引き分けにまで持ち込む。
そして翌年7月30日、昇侍は満を持してDEMOLITIONにてプロ格闘家デビュー。
中條実にバスターで1RKO勝利と、華々しいデビュー勝利を飾る。
「瞬殺侍」、襲名の一戦
昇侍を語る上で欠かせないのが、衝撃の2006年10月1日、パンクラスデビュー戦。伝説の瞬殺KOだろう。
ゴングが鳴ると即座に飛び出して膝蹴りを直撃させ、対戦相手の宮崎裕治を試合開始からわずか3秒で失神KO!観客席からは悲鳴に近い歓声が上がり、衝撃のパンクラスデビュー戦となった。
実は同年5月、山本”KID”徳郁が宮田和幸を、試合開始直後に飛び膝蹴りで試合開始から4秒でKOし日本記録を打ち立てたが、そのたった5か月後、デビューしたての新人が、同じ飛び膝蹴りでその大記録を塗り替えると言う大快挙であった。
思えばこの時から昇侍は ”瞬殺” という宿命を背負って戦い続けていたのかもしれない。
その2か月後は荒牧拓と拳を交える。1R3:36、グラウンドに転がる荒牧を踏みつけてKO。次戦は判定で敗れたものの、その次の試合では武重賢司を1R2:28、グラウンドでのパウンドでKO。プロデビューしたての新人としてはあまりにもド派手な戦績である。
伝説のUFC王者と激突
そのアグレッシブなファイティングスタイル、ド派手な勝ち方で名を馳せていく昇侍、次戦では初の外国人、しかも間違いなくこれまでで最強の敵と拳を交える。
UFCのファンであればこの名に覚えがあるだろう、かつてのUFCフェザー級世界チャンピオンとなり幾度もタイトルを防衛した、フェザー級世界一の総合格闘家、その名もジョゼ・アルドである。
当時のアルドは、未だ大きなタイトルこそ獲ってはいなかったが、昇侍との対戦までに9戦8勝。しかもそのほとんどが1RKO勝利という、当時の戦績だけでも充分怪物だ。
これまでにない強敵に対して昇侍はどう戦うのか。
解説席ではこの強敵に対しても昇侍が何かやってくれるのではと期待を口にする。
1Rのゴングが鳴り、ゆっくりと昇侍がリングの中央に向かうと、解説は「飛び出さないか笑」と苦笑い。
アルドは強烈なローを数発昇侍に当て、昇侍もそれに呼応するように重いフックで応戦する。
ラウンド中盤、昇侍をコーナーに追い込んだアルドは昇侍のワンツーに対するカウンターを皮切りに、左右のフックからローキック、間髪入れずに同じコンビネーションをもう1セットと、凄まじいラッシュを仕掛ける。さらに昇侍を抱えてボディに膝を何発もめり込ませ、そのまま抱えてバスターで昇侍をマットに叩きつける。
打撃も凄まじいが、グラウンド技術も超一流のアルド。
マウントを取られても必死で逃げようとする昇侍を捕まえ再びテイクダウン。まるで昇侍をおもちゃのようにして弄ぶ。しかしマウントを取られてからの対応が非常に上手い昇侍、なんとかピンチを回避して再びグラウンドへ。明らかに劣勢な流れの中だったが、その顔に焦りの色は見られず、笑みを浮かべながら戦う昇侍。ここでラウンドは終了。
ややアルドの攻撃パターンが読めて来たか、2Rに入ると昇侍は打撃でアルドと互角に渡り合う。アルドは戦いのフィールドをグラウンドに定め、執拗にテイクダウンを狙っていく。グラウンドでは防戦一方になってしまう昇侍、なんとか立ち上がってもすぐにアルドの強烈なタックルでマットに寝かせられてしまう。昇侍ガードポジションのままゴングが鳴り最終ラウンドへ。
3Rも執拗なアルドのタックルによってグラウンドでの防戦を余儀なくされる昇侍。一時的に立ち上がった時にはあの伝説の飛び膝を繰り出すが、空中で掴まれてマットに叩きつけられる。ここからはもう、昇侍が何をやっても倒されひたすら塩漬けにされる展開。ブラジリアン柔術のアリ地獄から全く抜け出せず最後まで防戦一方のまま試合終了。
ゴングと共に敗北を確信した昇侍はマットに仰向けになったまま頭を抱えていた。
その確信の通り0-3の判定で昇侍の完敗だった。
昇侍本人は悔しくて仕方なかったのだろうが、周囲は初の強豪外国人相手に判定まで持ち込み、善戦した昇侍を高く評価した。
衝撃の逆転KOでキング・オブ・パンクラスへ
次戦伊藤崇文を判定で下すと、2008年1月30日。デビューからわずか8戦目で初代ライト級キング・オブ・パンクラスの挑戦権を獲得する
対するはCAGE FORCEでのタイトルを持つウマハノフ・アルトゥール。柔道、コマンドサンボ、キックボクシングをバックボーンに持つ、打撃もグラウンドも一流の技を持つ強敵だ。
”秒殺侍” らしくゴングと同時に飛び込み、アルトゥールへワンツーを繰り出す昇侍。
距離を取りながらローキックで牽制しあう両者。そんな中、昇侍のローを取ってアルトゥールがタックルに行きテイクダウン。上から圧力をかけながらアルトゥールはパウンドを細かく落としてくる。なんとか逃れようともがく昇侍をアルトゥールは離さない。終始上からプレッシャーをかけられたままラウンド終了。やや昇侍劣勢かに見られたが、次のラウンド、勝負は一気にひっくり返る。
2R開始後、フェイントのパンチから出した昇侍の左ハイが、アルトゥールの顔面を完全に捉える。力なくマットに倒れるアルトゥールに容赦なくパウンドの嵐を浴びせる昇侍。審判が慌てて間に入り、昇侍の鮮やかな逆転TKO勝利となった。
栄光から陥落、昇侍の挫折
この衝撃の勝利で “秒殺侍” のイメージを不動のモノにした昇侍だったが、その後、大石幸史戦の一ヵ月前に全治一か月の怪我を負い、手負いのまま試合を強行。しかし無念のドローに終わり、その後も怪我や当時の飲酒癖の影響もあってか、立て続けに3連敗を喫してしまう。
特に2008年5月11日、さいたまスーパーアリーナで行われたDREAMでの敗戦は昇侍にとって痛かった。今後もこの大舞台で戦うチャンスが訪れると思っていたにも関わらず、この試合以降DREAMから声がかかる事はなかったのだ。
ここで一旦MMAからキックボクシングに戦場を移す昇侍。だがMMAでは通用した力任せの打撃も、キックボクシングの的確なテクニックには通用せず2連敗を喫し、MMAも含め5連敗と精神的にも非常に厳しい状況に。一旦昇侍はリングを離れ、約1年間、もう一度格闘技と向き合い直した。
昇侍が次にリングに現れたのは2010年10月24日。DEEPの10周年を迎える記念すべき大会で昇侍はジョン・ジンソ相手に1R2:58、劇的なKO勝利で復活をアピールした。
かつての力と勢いを取り戻した”秒殺侍”はその後も常にKOを前提とした、アグレッシブな戦いを続け、数多の名勝負を生み出していく。長期戦になると不利、またはKOを狙われるリスクも高い、常に勝負していくスタイルだけに、勝ち続けるのは困難であったが、それでも昇侍の試合では何かが起こると誰もが期待し、勝っても負けても昇侍の試合には多くの拍手と歓声が集まった。
しかし2013年6月15日壮絶な打ち合いの末KO負けを喫したチェ・ドゥホ戦を境に、昇侍はリングから姿を消してしまう。
燃え続ける闘志
30歳という節目の年に敗北した事で将来への不安を感じ、一時は千葉県でラーメン屋の修行を始めるも、2年半で断念。東京に戻り、現在も務める事になるトイカツ道場でトレーナーを始める。
再び格闘技に関わっていく中で昇侍の心の中でくすぶっていた闘志にまた火が灯り始める。そんな折りに格闘技団体GRACHANの代表・岩崎ヒロユキ氏に声をかけられ、なんと4年のブランクを経て2017年8月13日、リングへの復帰を果たす。
復帰戦ではジェイコブ・グルゼゴーゼックを相手に見事に3-0で判定勝利。
次戦では判定で敗れるも、次の試合では近野淳平と1Rからバチバチの打ち合いを見せ、強烈な右フックで近野をマットに沈め、5年ぶりのKO勝利となった。
さらに次戦でも中村謙作を3RTKOで下し、昇侍の見事な復活劇にファンは熱狂した。
好調だった昇侍だったが、2019年3月9日、石司晃一に2R終了間際スタンドパンチによるKOで敗れ、さらに2019年5月12日、UFCで戦い続け、最高で世界ランキング5位まで上りつめる等の活躍した後、帰国した水谷偉弥と対戦。
この試合ではオールラウンダーの水垣が、組むと見せかけて打撃、打撃と見せかけて組むなどして、昇侍を翻弄。さらに2R以降は執拗にバスターでテイクダウンを繰り返し、昇侍に全く反撃のチャンスを与えない。
3Rに至っては、水垣は昇侍の得意なスタンディングでの勝負を受け、打撃戦でさえ昇侍を圧倒し、終始水垣のペースで試合が進んで試合終了。昇侍は持ち味をほぼ完封され、0-3での敗北。世界の壁の熱さを実感させる試合だった。
しかし圧倒的な敗北を喫しても昇侍の心が再び折れる事はなかった。
次戦では釜谷真を、続いてCOROを共にTKOで下し、その不屈の闘志をファンと格闘界に知らしめた。
RIZIN参戦、いきなりのビッグマッチ
そしてCOROとの試合からわずか一カ月後の2020年9月27日。30代も後半、普通なら引退を考えてもおかしくない年齢なはずの昇侍に、思いもかけないビッグマッチが組まれる。
舞台は日本総合格闘技の頂上ともいえるRIZIN。そして相手はそのRIZINバンタム級の頂点に立つ、あの朝倉海。バッキバキのストライカー新旧対決の実現に、格闘技ファンは沸き立った。
日本刀を片手にド派手な入場を見せる昇侍。リングに上がるとその表情はまさに侍そのもの。興行名は違うものの、もう一度立ちたいと思っていたさいたまスーパーアリーナの大舞台。昇侍の表情からこの試合に賭ける想いが伝わってくる。
試合が始まると、一瞬で終わりかねない一発を持つ両者は、慎重に距離を取りながら相手の力量を計るように単発で拳を出していく。左のローをヒットさせて手ごたえを感じたか、昇侍が少しずつ前に出る。朝倉をコーナーまで追い詰めたところで、昇侍の右ストレートに合わせた朝倉の強烈なカウンター右ストレートが、昇侍の顎にヒット。一瞬動きが止まる昇侍に朝倉が左フックで追い打ちをかけると、昇侍はマットに倒れ尻もちを付く。さらに間髪いれず、立ち上がろうとする昇侍の顔面に、会心のサッカーボールキック! 朝倉の強烈すぎる攻撃に、レフェリーは慌ててストップ。昇侍はTKO負けを喫してしまった。
※画像URL:https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16782696/rc/2020/09/27/8f892ad08b6bc1d1a361f985a80102b6d0c4156b_xlarge.jpg(RIZIN公式HPより引用)
※画像URL:https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16782696/rc/2020/09/27/5cfb613e08ec6482e34403e46a45bc9840d697d4_xlarge.jpg(RIZIN公式HPより引用)
試合後のインタビューでは「(朝倉選手の強さを)肌で本当に感じられたことは、自分のキャリアにおいても、今後の将来においても、物凄く幸せな時間でした」と朝倉の強さを素直に称えた。
RIZINバンタム級四天王との一戦
2021年2月21日、DEEP 開催100回目、 20周年のアニバーサリー大会で昇侍は、”DEEPのファンタジスタ” と呼ばれ、RIZINでも活躍し、数々の強豪選手を打ち負かしてきた元谷友貴と対戦する。
試合が始まると、昇侍はジャブを打ちながら元谷との距離感を計り、元谷はカーフキックで牽制していく。均衡が崩れたのは試合開始1分過ぎ頃。昇侍の左に合わせて元谷は「バチン」という音が会場に響き渡るほどの強烈なフックを叩きつけ、昇侍はたまらずマットに倒れこむ。このチャンスを逃すまいと、立ち上がろうとする昇侍に組みつきテイクダウンする元谷。寝技のデパートとも言われる元谷は巧みに昇侍の身体を操ってバックを取り、首に手を回す。昇侍の首を締めたまま仰向けになり、完全にバックチョークを極めているが、昇侍はタップしない。最終的に昇侍の意識が落ちたことをレフェリーが確認して試合をストップ。
昇侍にとっては悔しい2戦連続の1Rでの敗北となってしまった。
”秒殺侍” 再び
強敵が集結するバンダム級で、なかなか結果を出せない昇侍だが、年齢を重ねても、どんなに強い相手を前にしても、決して逃げる事のない、前に出続けるその熱いファイトスタイルはファンから支持され、RIZINからも認められ、昇侍は再びRIZINのリングへと戻ってくる。
2021年9月19日RIZIN 30。迎えるは鈴木千裕。鈴木は当時弱冠22歳、キックボクシングで12戦11勝9KO、パンクラスのネオブラッド・トーナメントでも優勝しているRIZIN注目の若手選手である。
スーパーストライカー同士のこの試合は『KO決着必至』と見られ、多くの注目を集めた。
試合が始まると、「過去のトップファイターに引導を渡してやろう」と言わんばかりに鈴木が左右のフックを、文字通りぶん回しながら前に出る。
定石ならここは打ち合わずにタックルに行くところだが、常に観客の期待に応えて戦ってきた昇侍は、この若きスーパーストライカーに対して真っ向から打ち合う。
昇侍をコーナーに追い込み、一気に鈴木が勝負をかけ全力のフックを放つその瞬間、昇侍のカウンターが二発、特に二発目、昇侍得意のアッパー気味の左フックは鈴木の意識を吹き飛ばし、マットに倒れた鈴木は、なす術なく昇侍のパウンドの連打をモロに受けてレフェリーストップ。
RIZINの舞台での”秒殺侍” の大復活劇を目の当たりにして、歓喜と祝福の拍手、そして昇侍の勝利の雄たけびが会場に響き渡る。そしてその後のマイクパフォーマンスで「歳は取っていくものですが、歳をとる事は、かっこ悪い事じゃないです!」と堂々と宣言し、日本中の中高年に大きな勇気と希望を与えた。
RIZINの壁と年齢の壁
2021年11月28日、昇侍はRIZIN TRIGGER 1stのメインイベントを務める。迎えるは”アンダーグラウンドエンペラー” 萩原京平。キックボクシングから転向してきた“悪童”平本蓮にMMAの厳しさを教えた事で一躍名を上げ、常に勝つか負けるか、倒すか倒れるかの試合を繰り返す、若き日の昇侍を思い起こさせるような選手だ。
1R、距離を読みながら戦うが、昇侍が一気に距離を詰めプレッシャーをかけて萩原をテイクダウン。上からプレッシャーをかけ続けるが、萩原は立ち上がり、左フックを放って離れる。それを追いかけて左を放った昇侍に右のカウンターを合わせ、昇侍が一瞬よろめく。そこに畳み掛けるように飛び膝を2発。これも効いている様子だが前に出続ける昇侍。
だがコツコツ当てられてきたローキックが効いてきたか、次のローキックに耐え切れず昇侍は床に転がる。すぐに立ち上がった昇侍はグラウンドで勝機を掴もうと、タックルを仕掛けテイクダウン。
組み技ではやや昇侍の圧力が勝っているか、立ち上がる萩原にしつこく組みついて再度テイクダウン。萩原はなんとか立ち上がり左フックを放ちながら昇侍を突き放す。一瞬見合う二人だが、ラウンド終了間際、萩原は一気にラッシュを仕掛ける。この勝負を昇侍は真っ向から受けて反撃、萩原の拳の雨をかいくぐりながら、鈴木千裕をマットに沈めたアッパー気味の左フックや強烈な右ストレートをヒットさせ萩原にダメージを与えたところでラウンド終了。昇侍は舌を出して余裕をアピールした。
2R、足のダメージがかなり大きく、萩原のローキックによろめく昇侍。萩原の膝蹴りをとってテイクダウンを狙うが突き放されて打撃戦に。左のボディーから前蹴りと前に出ていく昇侍に、萩原のノーモーションの右ストレートが直撃。
ここが勝機と、萩原が一気にラッシュをしかけ、昇侍がたまらずマットに転がったところに、萩原の容赦ないサッカーボールキックが昇侍の顔面を直撃し、ここでレフェリーストップ。
試合後に萩原が昇侍の元に駆け寄ると、両者肩を組み、笑顔で互いの健闘を称えあった。
試合後のインタビューでは、萩原のキレのある右ストレートや、昇侍得意の左フックに対策をして来たことを称賛し、「勝とうが負けようが前を向いて戦う事、見てるファンの為に命を懸けて戦う事が使命だと思ってるので、前を向いてこれからもリングで戦い続けたいと思います」と格闘技への変わらぬ情熱を見せた。
次戦のRIZIN LANDMARK Vol.2では鈴木博昭と拳を交えたが、序盤のパンチで左目が見えなくなり、打撃のスペシャリスト相手になす術なくTKOで敗れる。
それでも昇侍の闘志は消える事無く、更に精進し、もっと素晴らしい選手になっていくと試合後インタビューで語った。
リングで証明した、本物の侍魂
2022年7月2日 RIZIN36、本来出場予定では無かったが朝倉海が拳の負傷により欠場となり、朝倉の代役として、2020年の対戦以来、親交を深めていた昇侍が、試合5日前というメチャクチャなオファーにも関わらず、これを快諾して代役を務める事に。
2Rまでは互角と言える戦いを続ける昇侍。特に昇侍のインローは確実にヤンにダメージを与え、時折りヤンが痛みに顔を歪めるシーンもあった。だが3Rに入るとヤンは一気に攻勢を強め、昇侍は飛び膝を受けてうずくまり、マットに尻もちをつく。ここで一気に極めに来るヤン。ギロチンチョークを狙うヤンに必至に抵抗する昇侍を逃がさず、バックをとってリアネイキッドチョークへ。昇侍は最後まで抵抗するが、落ちかけたところでレフェリーストップ。
※画像URL:ttps://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16782696/rc/2022/07/02/1167424a9e16ed10398051aa102bebb13019e3f8_xlarge.jpg(RIZIN公式HPより引用)
しかし、昇侍は朦朧とした意識の中、試合が終わったことに気が付かず、レフェリーの制止も聞かずにヤンの上に覆いかぶさる。「命を懸けて戦う」という言葉を口にするファイターは少なくないが、この漢ほどこの言葉を体現している者はそうそういないだろう。意識があろうがなかろうが、試合が終わっていなければ諦めない。その不死鳥の様な闘志に格闘ファンたちは感動し、涙する者もいた。
また試合後にヤンが昇侍を介抱する場面もあり、ヤンの紳士的な姿勢にも称賛が集まった。
この試合は朝倉海が欠場となりセミメインとなっていたが、「事実上のメイン」と称する声も上がっていた。
試合後インタビューでは1R終了時点で右手首尺骨が折れていたことを明かし、それでも試合を続けた事に関して「折れたくらいで諦める程ヤワじゃないんで」と語った。しかし、やはりこの年齢での大きな怪我にショックは隠せずに、男泣きしながら「絶対にまた復活して、絶対戻ってきます」と強い決意を表明した。
その後、手術も成功し、朝倉海と海でラブラブのツーショット写真も上げている事から、順調に怪我は回復しているようだ。
沖縄男旅☀️ pic.twitter.com/9UkWuVklG1
— 朝倉 海 Kai Asakura (@kai_1031_) August 15, 2022
勝っても負けても最高の試合を見せ、格闘ファンに感動を与え続けてくれる昇侍選手。彼の鋼鉄の精神力があれば、きっと怪我を克服し、年齢も克服し、必ずまたRIZINのリングに戻ってきてくれる事だろう。若手ファイターに向けた「最強」という期待とはまた別に「昇侍が戦う」事、それ自体を期待しているファンも多いはずだ。そして”秒殺侍”としての昇侍の復活は、多くのファン、特に中高年世代に勇気と希望を与える事になるだろう。
これからも”秒殺侍” 昇侍からはまだまだ目が離せない。
昇侍選手の知りたいトコロ!
昇侍の彼女は?結婚している?
ネットで昇侍の恋愛関連や結婚関連の記事を探してもそのような情報は一切見つからない。調べていて分かるのは昇侍は「ラーメン」と「朝倉海」が好きだ、という事実だけである。ラーメンに関しては自身のYoutubeチャンネルで度々ラーメン屋の食レポを行っている。また、昇侍のツイッターを見ると異常な頻度で表示される朝倉の画像。一瞬「これは朝倉のアカウントでは?」と錯覚を起こすほどの頻度である。
https://twitter.com/shou0424/status/1546090164409081860?s=20&t=7aJoDvbx_1DKcJvpFPgQOw
[感動]かい君を空港に迎えに行ってきたhttps://t.co/WZDnqCNmcd pic.twitter.com/icae9o0uR3
— 昇侍 (@shou0424) May 25, 2022
鈴木千裕戦で秒殺KO勝利をした際に、さいたまスーパーアリーナの廊下を、「昇侍、走るな」と注意されながらも疾走して朝倉の元に行き、勝利の報告をしていた姿を見ると、昇侍にとって朝倉海は、恋人の様な存在なのかとさえ感じる。いや、寧ろ彼女は昇侍の方だろうか笑。
新ニックネームは ”どこでも昇侍” ?
“瞬殺侍” の通称を試合でなかなか体現する機会が減ってしまった昇侍だが、最近はその通称に代わって”どこでも昇侍” というニックネームが格闘ファンの間で浸透しつつある。
私はこれを「誰が相手でも何処のリングでも戦う」という漢気溢れる意味ではないかと思ったのだが、むしろ「誰のYoutubeでもインスタグラムでもしょっちゅう見かける」という意味での「どこでも」という意味でそう呼ばれているようだ。それだけ多くの格闘家に愛され、リスペクトされる存在だとも言えるだろう。
趣味は料理と家庭菜園?
試合での昇侍選手は「石渡伸太郎と並ぶ漢の中の漢」というイメージだが、実は非常に家庭的な一面も持ち合わせている。
昇侍のインスタにはお好み焼きをひっくり返そうとして失敗する動画や
自らさんまを捌いてなめろうを作る過程
家庭菜園で育てたイチゴなど
彼の家庭的で乙女な一面も垣間見る事ができる。
まとめ
ここまで”瞬殺侍” 昇侍のストーリーを見てきたが如何だっただろうか。野球少年から航空自衛隊に進み、同時に始めたシュートボクシングでその才能を見出され、格闘家を志した昇侍。
パンクラスのデビュー戦で未だに破られていない、開始3秒という最短時間でのKO記録を打ち立て、その後も多くの秒殺伝説を作り、初代フライ級キング・オブ・パンクラスへ。その後、低迷期を迎えて一時はリングを去るが、その闘志に再び火がついて格闘技界に舞い戻り、必ずいつか戻ると誓ったさいたまスーパーアリーナ、RIZINのリングを舞台に幾つもの死闘を繰り広げてきた。
勝っても負けても、秒殺でもそうじゃなくても、昇侍の試合は観るものを熱くさせ、勇気を与え、時には生きるヒントさえ与えてくれる。そして、何歳になっても「この男は何かやってくれる」と、またいつか大きな舞台で奇跡を起こしてくれると信じているファンも多いだろう。
※画像URL:https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16782696/rc/2022/07/02/d9535ddde1549f64a7844b4b4e67518b012c1feb.jpg(RIZIN公式HPより引用)
昇侍が戦う事を辞めるまで”秒殺侍”の伝説は続く。そんな彼の生き様を、格闘人生をこれからも皆さんと一緒に最後まで見守っていきたい。
※アイキャッチはRIZINの公式HPより引用