パトリッキー・”ピットブル”・フレイレは、決してスターになる星の元に生まれた男ではない。ブラジルの郊外に生まれ、決して恵まれているとは言えない環境の中で、何度も挫けそうになり、格闘技を辞めるかのどうかの決断に迫られる事さえあった。
幾多の困難や敗北、不遇を乗り越え、一歩一歩、自らの拳一つでベラトールのライト級チャンピオンにまで登り詰めたパトリッキーには、「強さ」という一言だけでは言い表せない魅力がある。
もちろん、そのファイト自体も彼の大きな魅力だ。判定の事など微塵も考えず、ひたすら相手を破壊するべく拳を振り回すその姿は、まさに”狂犬” そのもの。いつ何が起こるか分からない彼の試合に、観るものは瞬きさえも許されない。
事実、パトリッキーのショットガンのような右フックは、試合を一瞬でひっくり返し、幾多のピンチをチャンスに変え、彼をベラトールの頂点へと導いた。
一体彼がどのような経験を経て格闘技を始め、ここまで強くなり、ベラトールのチャンピオンにまで登り詰めたのか、今回はパトリッキー”ピットブル”・フレイレを丸裸にしていこう。
※画像URL:https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16782696/rc/2019/12/31/4563726592ce6f6368b1854e197b18fb9d75c456_xlarge.jpg(RIZIN公式HPより引用)
パトリッキー・”ピットブル”・フレイレのプロフィール
名前 : パトリッキー・”ピットブル”・フレイレ
生年月日 : 1993年1月21日
出身地 : ブラジル
身長 : 170cm
体重 : 71Kg
戦績 : 24勝10敗(16KO 1SUB)
階級 : ライト級
所属 : ピットブル・ブラザーズ
獲得タイトル : ベラトールライト級王者
入場曲 : Pregador Luo 「Mixtape 1 Pregador Luo – 30 anos 」
バックボーン : ブラジリアン柔術
公式 HP : ー
Twitter : @PatrickyPitbull
Instagram : patrickypitbull
Youtube PATRICKY PITBULL
アパレル ー
ファンクラブ ー
今年29歳と、今一番脂が乗っているパトリッキー選手。彼がどのようにしてベラトールに参戦し、その後RIZINのリングに降り立ったのか、彼の格闘人生を幼少期から振り返ってみよう。
ベラトールデビュー前
格闘技を始めた意外なきっかけ
パトリッキーは1986年1月21日にブラジルのリオグランデ・ド・ノルテ州の決して裕福では無い家に生まれる。幼少期は郊外にある2LDKの小さな家で、ピットブル兄弟と4人のいとこが1つの部屋ですし詰め状態になって寝ていたそうだ。
ブラジリアン柔術を始めたのは11歳からだったが、1歳下の弟・パトリシオとの兄弟喧嘩がきっかけだったらしい。
パトリッキーはこう語る。「俺たちは事ある毎にケンカしたんだ。喧嘩の最中に母が間に割って止めようとしたが、パトリシオが俺の体にアッパーカットを放ち、俺は膝をついてしまった。予想外のパンチで効いちまった。ヤツは「俺が正義の味方だ!」と言って喜びやがった。。俺はそれを卑怯だと思ったし、はしゃいでることに腹が立った。」
それ以来、パトリッキーはジムに通い、負けてはいられないパトリシオも同じジムに通うようになる。
貧しさとの戦いの中、訪れたチャンス
パトリッキーは19歳でプロの格闘家として、2005年9月8日ブラジルのMMAのリングでデビュー。
踏みつけによって1Rで華々しいKOデビューを飾った。
※画像URL:https://media.bleacherreport.com/w_800,h_533,c_fill/br-img-images/003/541/600/ca8ee8d941ad65cba133a039c55da8f0_crop_north.jpg(bleacherreport.comより引用)
以降4連勝と、快進撃を見せ、5戦目で負傷による試合途中での判定で敗れたものの、その後も3連勝。
しかし、ブラジルでの試合ではなかなかファイトマネーも稼げず、試合も思うように決まらない。
当時の事をパトリッキーはこう振り返る。
「貧しい地域で格闘家を務めるのはとても困難だ。試合の予約やインストラクターを探すのも大変だし。だから、彼らは居心地のいい故郷を離れ、遠く離れた場所でトップになるために屈辱に耐えるんだ。
もしあなたが辛い過去を持ち、苦労して何かを目指してきたのなら、それだけ一生懸命になるはずだ。常に必要なモノが揃っている人は、自分が恵まれている事を理解していないんだ」
一時は格闘家の道を断念しかけるほど貧しい中で、必死に格闘技を続けた経験によって、パトリッキーは強靭な精神力を手に入れたのかもしれない。
話は戻るが、やはりブラジルで格闘技を続けるのは、いろいろな面で厳しかったパトリッキーに、チャンスが訪れる。
アメリカでUFCに次ぐMMA団体、ベラトールへの参戦である。
2番手の団体とは言え、巨大な欧米のマーケットを考えると、収入面も対戦相手の数もこれまでとは桁違いになる。ブラジルの貧しい格闘家にとっては夢の様な話だ。
だがベラトールデビューの直前、パトリッキーは絶望の淵に立たされる。
彼の親友でもあり、マネージャーを務めていたイワン・カネロが、心臓発作で急逝してしまったのだ。
しかしそんな状況でも、パトリッキーは「ファンのみんなに僕のパフォーマンスで喜んでもらいたい」と気丈に語り、「私の目標は、”ピットブルブラザーズ “の名を世界に知らしめることだ」と試合への変わらぬ意気込みを語った。
ベラトール参戦
いきなりの快進撃
そして来たる2011年3月12日、なんと、あの東日本大震災の翌日、パトリッキーはベラトールのケージの中に立つ。迎えるはロブ・マックロー。19勝中11KOというハードストライカーであり、試合前にはビーチでヘビー級の選手と練習を共にし、更にパワーアップして来ている。
試合は2R後半、パトリッキーの鋭い右フックがマックローの顔面を捉え、マットに倒れこんだ所しっかりと追撃のパウンドで試合を決め、2R3:11 TKO勝利。
ベラトール初参戦、ノーマークの新人の派手なKO劇を見て、パトリッキーに注目が集まった。
次戦は2011年4月2日、ライト級トーナメント準決勝、迎えるのはトビー・イマダ。当時29勝のうち、9KO、一本勝ち18回という、アグレッシブなファイターだ。
両者激しい打ち合いの中、2R後半、パトリッキーは強烈なフライングニーを決め、苦しそうに顔面をしかめるイマダに猛烈なラッシュ。左の強烈なフックが顔面を直撃し、イマダは失神KO。追撃するまでもなく、インパクトのあるKOで勝利した。
※画像URL:https://media.bleacherreport.com/w_800,h_533,c_fill/br-img-images/001/622/321/patricky_crop_north.jpg(bleacherreport.comより引用)
この衝撃のKOは「イマダが生きていることを祈る」「これまでで最高のKOシーンの一つだ!」とネット上でも多くの称賛を得た。
順調に勝ち進んだパトリッキー。
決勝の相手は、レスリングのバックボーンを持ち、ベラトールでもいくつもの一本勝ちを見せて来たマイケル・チャンドラー。準決勝では、優勝候補であった、デビュー以来11戦無敗のロイド・ウッダードをも圧倒して決勝進出を果たし、自身もデビューから7戦無敗という、間違いなくパトリッキー史上最強の相手だ。
試合前、チャンドラーがパトリッキーの強烈な打撃について問われると
「俺は相手の得意技を気にしながら試合に臨むことはない。レスリングの経験があるから、精神的にもタフだし、身体能力も他の選手より高いと思う。彼のパワーは認めるし、尊敬もしているけれど、彼の打撃を怖がるつもりもない」
と冷静に分析し、自分の勝利を確信していた。
この試合、残念なことに、チャンドラーは3度にわたってパトリッキーの股間を打ち抜き、試合は一時中断し、パトリッキーが回復するまでの休憩に時間を費やした。
このローブローの影響もあるのか、チャンドラーの寝技への警戒も強かったからか、パトリッキーは思うように手が出せず、トビー・イマダや ロブ・マッカローを打ち破った時のパトリッキーの姿はそこにはなかった。結果は0-3の判定でパトリッキーが敗北。
パトリッキーにとってはいろいろな意味で痛い敗戦となった。
次戦はUFCでも活躍していたカート・ペレグリーノを試合開始わずか50秒、右ストレートからのパウンドでまたもや格闘ファンを魅了し、弟パトリシオの大活躍もあって(2011年のベラトールフェザー級トーナメント優勝)”ピットブル” 兄弟がベラトールの台風の目となる。
長いトンネルへ
しかし、ここで大きな壁がパトリッキーに立ちふさがる。
2012年3月23日、あのチャンドラーに準決勝で敗れたロイド・ウッダードとの対戦である。これは事実上”銅メダル”を争う試合であり、絶対負けられない勝負だったが、ウッダードの巧みなレスリング力に翻弄され2Rにアームロックで一本を取られ敗北。
続けて、後にUFC世界ライト級王者となるエディ・アルバレスと対戦し、こちらは1R後半にハイキック一発でマットに沈み、一気に人気は下降する。
今思えば、これは相手が悪かったとしか言いようが無いが、怪我をして2012年のトーナメントに出られなかった事も重なり、試合から遠ざかってしまう。
崖っぷちに立たされたパトリッキーは、マスコミを通して
「怪我をしてトーナメントには出られなかったけど、ファイターにとってこれほど長く離れるのはかなり辛い事だ。試合に出られない訳じゃないし、準備はできている。もっと上に行くためにはとにかく試合に出なければいけない」
「俺にとって、もう1勝することは極めて重要なことなんだ。」
「誰とでも戦いたい。この数カ月で新たに学んだことがたくさんあるので、すぐにでもケージの中でみんなに見せられると思う」
「もし雇い主が望むなら、来月のBellator 97イで兄パトリシオ “ピットブル “フレイレと一緒に戦いたい」
と必死のアピールを開始。
念願叶い2013年9月7日、前試合から11か月ぶりのチャンスをもらうが、何とここでもデレック・アンダーソンに判定で敗北し、屈辱の3連敗を喫してしまう。
再び浴びる脚光
本当にもう後が無いパトリッキーだが、2か月後に最後のチャンスを与えられ、判定ながらエジソン・ベルトを下し、何とか首を繋げる事に成功。しかし、栄枯盛衰の激しいアメリカのMMAだけあって、1年近く試合から遠ざかり、ようやく無名の選手に判定勝利をした事など、ほとんどのマスコミは1行たりとも紙面を割くことがなかった。
そんな粗末な扱いにもめげずにパトリッキーは2014年のベラトールライト級トーナメントに出場。
全く注目されない中、準々決勝の対戦相手、デヴィッド・リッケルズを2R 0:54、左フック一撃で戦闘不能にしてKO。
準決勝の相手はデレック・カンポス。未だ世間からの注目は低いままだったが、この試合も見事に2R、パウンドによるTKOで勝利をもぎ取った!
成績不振と、ベラトール契約解除の危機に晒されていたパトリッキーにとって、非常に価値のある3連勝。しかもインパクトのあるKO勝ちなだけに、再びパトリッキーに注目が集まった。
今回のパトリッキーはいつも以上に士気が上がっている。2014年9月26日に行われる決勝の3週間前、弟のパトリシオがフェザー級トーナメントで優勝し、所属事務のマットにはそのチャンピオンベルトが置かれ、パトリッキーはそのベルトのすぐそばで練習してきたのだからそれも当然の事だろう。
対戦相手のマルチン・ヘルドは非常に足関節が得意な、ブラジリアン柔術の達人だが、それについては
「彼は危険なファイターで、良い柔術を持っている」「彼はどんなポジションからでも膝や足関節をねらう事が出来るが、アンソニー・ペティス(UFCライト級王者)と練習していたから、打撃も鍛えているし、この試合でも万全の態勢で臨めるだろう。彼は寝技で一本を狙うと同時に多くの隙も作る。相手をタップさせようとするあまり、背中や足への警戒が薄くなるんだ」
と語り、確実に勝利を見据えている様子だった。
だが試合では、圧倒的なグラウンドテクニックを持つマルチンに再三テイクダウンを取られ、足関節を狙われ、アームロックを極められそうなり、マウントからの激しいパウンドを喰らい、自分の土俵で全く勝負が出来ないまま試合は終了。判定は0-3でパトリッキーの完敗だった。
敗北はしたものの、確実に実力を上げて行くパトリッキー。2016年1月19日には、ベラトール参戦から4連勝と破竹の勢いのライアン・クートゥアを1R3:00でKOをし、ベラトールの洗礼を与え、次戦ではUFCで好成績を残して移籍してきたケヴィン・ソウザも退け、”ピットブル”がベラトールの”番犬”の役割を果たし、一気に株を上げて行った。
マイケル・チャンドラーとの再戦
そしてついに、現チャンピオンだったウィル・ブルックスのUFC移籍によって、空位となったライト級のベルトを懸けて、ベラトールで初めて敗北を味合わされた相手、マイケルチャンドラーとの再戦が決定する。
前試合からわずか2か月後というタイトスケジュールの中の大一番だが、パトリッキーは全くこれを気に留めず。むしろこうなる事を予想していたようだ。
「前回の勝利から、何か大きなことが起きると思い、このタイトル戦は遅かれ早かれやってくるだろうと思って、すでにトレーニングをしていた」と語り、続けて
「彼は1、2Rは危険だが、それ以降はスタミナがキレて何もできない。もうピークを過ぎてるんだよ、彼は僕の事を甘く見ているようだが、勝ったと思わせておけばいい、罰を与えてやる」
と打倒チャンドラーへの自信を漲らせた。
一方チャンドラーも「彼はパンチ力があり、派手にKOするパフォーマンス力がある。いずれ再戦すると思っていたから、この試合を想定して完璧なトレーニングを積んできた。俺はこれまでで最高の状態だし、この試合がどこで行われるとしても、準備は万端だ」「今こそ、もう一度この男をぶっ飛ばして、精神的にも肉体的にも、そして魂さえも破壊して、ベルトを手に入れる時だ」と語り。徹底的にパトリッキーを潰すと宣言。
2016年6月24日、チャンドラーのホームタウンであるミズーリ州セントルイスで試合が行われた。
レスリングの得意なチャンドラーが予想通りテイクダウンを狙っていく展開。パトリッキーも負けずにその剛腕を奮ってプレッシャーをかけていくが、チャンドラーがその動きをしっかりと掴み、会場に響き渡るほどに大きく、鈍い音を立ててパトリッキーの顎に拳を叩きつけた! パトリッキーはこの会心の一撃で完全に意識を失い、仰向けにマットに倒れこんで戦闘不能になり試合は終了。
3連勝を決め、再びライト級タイトルを手にしたチャンドラーは「すごく興奮している」と語り。「俺は日を追うごとに強くなっている。世界一になりたいんだ」と、今後への大きなビジョンを語った。
真の”狂犬”へ
ほぼ何もできずに、タイトルマッチでの失神KO。失意のどん底に突き落とされたパトリッキーだったが、悔しさをバネに鍛錬を続け、いよいよその才能が本格的に開花する。
2017年2月18日、2連勝中のジョシュ・トムソンを2RでKOし引退に追い込むと、次戦では元UFCライト級王者の超実力派、ベンソン・ヘンダーソンと激しい激闘の末、スプリット判定で勝利し、ついにベラトールのトッップファイターとしての位置づけを定着させた!
一時は長い不振に悩んでいたが、乗り越えられたのは何といってもパトリッキーの所属ジム、ピットブル・ブラザーズの支えがあったからこそだろう。
ピットブルブラザーズジムは、ブラジル人ファイターが集まるジムで、選手同士の絆も深く、指導者にはあのアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラの名前も。またマノ・サンタナコーチは、MMAの世界ではピットブル兄弟を始め、UFC元フライ級、バンタム級チャンピオン、ヘンリー・セフードの空手ベースの打撃スタイルを開発したコーチでもあり、グローバー・テイシェラ、UFCファイターのホドウフォ・ヴィエイラのコーチも務めてる超凄腕の指導者。
この素晴らしい環境の中で、パトリッキーは何度敗戦しても仲間たちに励まされ、弟のパトリシオと切磋琢磨し、ついに本物の格闘家へと成長した。
いつベラトールライト級の王者になってもおかしくないレベルに到達しているパトリッキーだが、プロモーターは違うプランを持っていたようだ。
2018年2月16日、4年前にライト級トーナメント準決勝で対戦し、勝利したデレック・カンポスとの再戦が決まる。実はこの試合、何度も決まっては流れ、決まっては流れを繰り返し、今回の試合も決まってからしばらくは、エンジンがかからなかったようだ。
しかし試合が近づくにつれ「トレーニングを始めて試合が近づくと、またやる気が出てくるんだ」と、パトリッキーは徐々にボルテージを上げて行く。カンポスについては「彼は4連勝して2KOしたが、正直に言って何も進化していない」と切り捨てたが
「ただ、彼は非常にタフでハートのある選手だ。前回の試合の時も俺は何度も彼を倒さなければならなかった。この男をノックアウトするのは難しい」とカンポスのタフネスへのリスペクトも示した。
カンポスもあの敗戦以来、大きな進化を遂げ、判定に持ち込まれる事が多いものの、破竹の4連勝。一躍ベラトールのトップファイターに名乗りを上げ、スター選手同士の対決は大きな注目を集めた。
試合では1Rから激しく打ち合う両者。パトリッキーの強烈なカウンターが幾度も決まり、タフさがウリのカンポスも流石にグラつく。相手が弱ってきたところで一気にラッシュを畳みかけ、カンポスが堪らずグラウンドにうずくまり、パトリッキーが追撃を躊躇したところでレフェリーストップ。
試合後にマイクを向けられると「最高の気分だったよ。家で子ども達と遊んでいるような気分だ。俺のモチベーションはベルトだ。チャンピオンを倒すのは簡単だ。覚えておけ、次のチャンピオンは俺だ!」と興奮気味に語った。
しかし、そんなパトリッキーの想いはプロモーターには届かず、次戦もロジャー・ウェルタ―とのノンタイトルの試合が組まれる。この試合を得意の右フックで勝利。
次戦はベラトール初出場のライアン・スコープと戦い、これが意外にも接戦となって、2-1の判定勝利で辛くもパトリッキーが勝利した。
勝利を積み重ねながらも、なかなかタイトル挑戦のチャンスが得られないパトリッキーだが、じつはプロモーターのスコット・コーカーにはある計画があった。その計画とは、日本にベラトールの選手を送り込み、RIZINを制覇するというものだ。その刺客としてパトリッキーに白羽の矢が立てられた。
その計画はベラトール222のイベント終了時に発表され、観衆やマスコミ関係者を驚かせた。
もしかしたら始めからそのつもりで、パトリッキーのタイトル挑戦を退けていたのかも知れない。もしタイトルを取っていたら、ベラトールの現役王者が日本のリングに出張とは簡単にはいかなかったはずだ。
こうしてパトリッキーは海外勢の刺客として、日本の、RIZINのリングに降臨する。
RIZINで魅せる”黄金の右”
実はスコープとの試合で右腕を負傷し、手術を受け、5か月間はまともに練習出来なかったというパトリッキー。だが今は万全だと好調をアピール。RIZINライト級トーナメント1回戦で拳を交わす川尻達也に対しては
「日本の中でもすごい選手、日本一は五味選手で間違いない。続いて川尻選手がNo.2だと思う」と川尻へのリスペクトを表明したが「日本に遊びに来ているわけではありません。優勝しに来ました。だから100%勝つと思っています」と本気で勝負に行く事を宣言した。
一方川尻はパトリッキーとどう戦うかと聞かれると「パトリッキー、強いっすね。完全にストライカーですね。相手はKO勝ちが多いのでぶっ飛ばされるか、俺が抑え込んで一本勝ちか。イメージとしてはパトリッキーに触れればテイクダウン出来ると思うので、しっかり固めて相手が消耗したところを一本取れればと思います。」と強敵相手にも勝利のビジョンはしっかりと見えているようだ。
試合は2019年10月12日に行われた。
1R、予想通り、事前に語ったように一本勝ち狙いでタックルに来る川尻。さすがにベラトールで強力なレスラータイプの選手と戦ってきたパトリッキーは簡単には倒れない。1分過ぎ、パトリッキー得意の右飛び膝が川尻の顔面にヒット! 川尻がマットに転がったところに強烈なパウンドを浴びせたところでTKO。「ベラトールの狂犬」という通り名に相応しいアグレッシブなファイトを日本の格闘ファンに披露した。
伝説のライト級グランプリ決勝へ
パトリッキーは順調に準決勝に進み、大晦日の大舞台で日本のファンに”狂犬”の戦いを披露する日がやってきた。
対するは、先にRIZINでのデビューを果たし、お祭り男、矢地祐介を撃破、朝倉未来ともいい勝負をした、グラウンドスキルも高いハードヒッター、ルイス・グスタボだ。
パトリッキーはインタビューでグスタボに対し
「とても優れてアグレッシブな選手だと思います。しかし、私は“ピットブル”です。私より優れている選手はいません。チャンピオンになるために生まれてきました。相手をボコボコにするために生まれてきました。残念ながら彼は生まれた時代を間違えました。相手を倒してチャンピオンになります」と語り、絶対的な自信を伺わせた。
ゴングが鳴ると、グスタボのローキックに反応していきなり強烈な右フックを繰り出し、ギリギリで反応し逃れたグスタボに更に飛び膝で追い打ちをかける。
※画像URL:https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16782696/rc/2019/12/31/6b77e7ccb81b783e8de9b1ca07727e5d926b7e81_xlarge.jpg(RIZIN公式HPより引用)
反撃を試みるグスタボのローキックに合わせて、パトリッキーは鋭く重い左右のカウンターフック叩きつける、グスタボはマットに尻を着くが、追撃を逃れようと立ち上がる。
パトリッキーは大振りの、斧のような右フックを二発、グスタボの顔面に叩きつけると、グスタボは力なくコーナーに背中を預けながら倒れ、ここでレフェリーストップ。試合開始28秒、圧倒的な破壊力でのKO勝利となった。
※画像URL:https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16782696/rc/2019/12/31/234349a01e75560a813f3ded696beeac911462ab_xlarge.jpg(RIZIN公式HPより引用)
日本に来て、たった2ヵ月、2戦目にしてその狂犬ぶりを遺憾なく発揮し、あっという間にその名を轟かせた。
“狂犬” VS “死神”
同日に行われた決勝、勝ち上がってきたのは、優勝候補のジョニーケースを圧倒的な破壊力で破った、パトリッキーに勝るとも劣らぬハードヒッター、”コーカサスの死神”トフィックムサエフだ。
両者ともに衝撃的なKO勝利で勝ち上がってきただけに、全国の格闘ファンから熱い視線が向けられた。
一発で試合を終わらせる破壊力を持つ両者、やはり互いの攻撃を警戒して距離を取り合い相手の出方を伺う。1R後半、試合は動き出す。フックを出しながら飛び込んできたパトリッキーにムサエフが左右のストレートの連打を畳みかけると、パトリッキーはグラつき、マットにうつ伏せに倒れる。すぐに立ち上がると、負けていられるかと強烈な大振りのフックを振り回し応戦。
ムサエフが出したカウンターごと押し返して、フックを顔面に叩きつけると、ムサエフもよろめき、ここは一旦グラウンドに持ち込もうとタックルを仕掛けてくる。
ラウンド終了間際、パトリッキーはテイクダウンされ、ムサエフの殺意のこもったパウンドが恐ろしい回転の速さで降ってくる。一瞬危ないかと思われたがここでゴング。
2Rも激しい攻防が続く中、ムサエフのテイクダウンを逃れようと、手押し車の状態で逃げたパトリッキーが、場外に落下するアクシデントが発生。それほど1Rでのパウンドの恐怖が脳裏に焼きついているのか。
数分試合が止められた後、試合は再開。
ラウンド中盤、パトリッキーのミドルを取ってムサエフがテイクダウン。再びあの地獄のパウンドがパトリッキーを襲う。立ち上がって逃げようとするパトリッキーを無理やり押し倒し、バックをとってあらゆる角度からパウンドを浴びせて来る。
ムサエフの攻撃は容赦なく続き、禁止されている後頭部さえもどさくさに紛れて当てて来る。ようやくパトリッキーが立ち上がったところでゴング。
ムサエフの手段を選ばぬ戦い方にパトリッキーが押され気味のラウンドだった。
3R、序盤にムサエフが左右のストレート&フックで猛ラッシュを仕掛ける。この連打にパトリッキーは後退せずにカウンター右フック。ラウンド中盤、ムサエフが前のめりになりながら捨て身の左右フックの連打。一発一発に殺意を込めて、一気に勝負を決めに来た。何発かいいのをもらい、パトリッキーの分厚い身体が衝撃で後ろに押されて行く。反撃しようと前に出たところでスリップしてマットに倒れ、そこにムサエフがパウンドを連打。”コーカサスの死神”という通り名に相応しい、相手に死を感じさせる恐怖の鉄槌を息する暇も無く落とし続ける。何とか持ちこたえて立ち上がるが、パトリッキーはこの後、特に大きなダメージを与える事が出来ずに試合終了。
結果、0-3の判定でムサエフが勝利した。
大晦日に相応しいこの激闘は大きな話題を呼んだが、実は両者共に準決勝で右の手の甲を骨折していたという事に、何よりも驚かされた。
試合後インタビューでは「RIZINとベラトールはルールが違うので、俺は勝ったと思っていた。悔しい気持ちです」と、試合後も心は負けていなかった。ムサエフについては「とても強い選手だと思う。決勝で彼と当たると分かった時にも、一番難しい相手になると思っていた」と、ムサエフの脅威について語ったが、いつか再戦したいという想いも表明した。
ベラトールの王者へ
アメリカに戻ったパトリッキーは、拳の骨折を幹細胞での治療でいち早く治療してトレーニングを再開し、自ら次戦の相手にピーター・クィリーを指名した。
実はクィリーの所属するジム「SBG」と、ピットブルブラザーズジムは近年ライバル関係にある。
試合会場や試合前会見で顔を合わせる度に挑発し合い、口論になり、時には乱闘まがいの状況になる事もあった。この冷戦状態を、オクタゴンの中で白黒つけようというのがパトリッキーの提案だ。
しかし、パトリッキーの体調不良で試合が中止になった事も重なり、この対決が実現するのはムサエフとの一戦から一年半近くも後の事だった。
2021年5月7日、ようやくベラトール258でのクィリーとの対決が決まった。
クィリーはKO勝利こそ少ないが、非常にグラウンドテクニックが高く、1本勝利が13勝10回と、ベラールの中でもトップクラスの決定率だ。
だがパトリッキーは試合直前のインタビューで「クィリーは口が達者なヤツだが、最近は静かだな。いよいよ自分に逃げ場が無くなった事を思い知ったか、
立ち技でもグラウンドでも俺の方が優れてるし、一本でもKOでもどちらでも勝てる。今年はチャンピオンになって一年を締めくくりたい」と余裕を見せていた。
ピットブルブラザーズジムとSBGの代理戦争の様相を呈したこのマッチ。ジムの誇りを背負っての勝負だけに、ここは絶対に負けられない。
1Rはローキックを上手く使いクィリーを圧倒する。途中でクィリーからのカウンターも入るが全体的に押している印象だ。
2Rに入ると、ローでクィリーの足を薙ぎ払い、ハイキックへのカウンター右フックでクィリーをマットに吹き飛ばす。細かく入れてきたローも効き始め、クィリーの動きが止まる。ワンツーのコンボに織り交ぜた強烈なボディが、幾度もクィリーのボディを襲う。
明らかにパトリッキーが優勢に見えたが、よく見るとパトリッキーの右目の下から流血が・・・。時間を追うごとに流血は激しくなり、パトリッキーの顔面を赤く染める。
どうやら一旦グラウンドに持ち込んだ時に、下からクィリーの肘が当たり、カットしてしまったようだ。
パトリッキーがテイクダウンを決めて、クィリーの上になると、その血がクィリーの上に滴り、クィリーの全身も真っ赤に染まる。ここでゴング。
あまりに激しいパトリッキーの流血にチェックが入り、試合は何と、パトリッキー優勢で進んでいたにも拘らず、ドクターストップでパトリッキーの敗北となってしまった。
この敗北がよほど悔しかったのか試合後インタビューでは「こんな小さな傷で試合を止められてしまった。俺は全然平気だ、疲れてもいない」「必ずリマッチしたい。俺はアイルランドでの試合を希望する。ヤツの家族とアイルランド人の目の前でヤツをKOしたい」と気炎を上げた。
だが一方のクィリーは、フェザー級と共にライト級のタイトルも持つピットブル・弟のパトリシオとの対戦を望んだ。
だが兄想いのパトリシオは、パトリッキーがライト級No.1になった事もあり、また自信がフェザー級でAJ・マッキーに敗れたこともあって、フェザー級に専念するためという名目でライト級の王座を返上した。
王座をかけた因縁の再戦
これによってパトリッキーとクィリーの再戦は、ベラトールライト級王座をめぐる、それぞれの格闘人生を懸けた一戦となり、ジム同士の因縁も重なって、格闘ファン注目の一戦となった。
試合を間近に控えたパトリッキーはインタビューで「試合は接戦だったけど、あのままだと3Rもたなかったね。彼は諦めない、最後まであの脚で戦うと言ったが、彼は試合が止められたからそう言えるんだよ」と語り、試合でどのように勝利するかと聞かれると
「ノックアウトだよ。他にあるかい?兄弟」とクィリーへのリベンジに燃える胸中を明かした。
一方クィリーは
「俺がベラトールライト級最強だ」「確かにパトリッキーはランキング1位だ、だが俺はパトリッキーを倒した。つまり俺が最強って事だよ」と豪語し
「俺はヤツのパワーや技を恐れていない。ヤツは俺を恐れているはずだ」と続けた。
2021年11月5日に試合は行われた。
1R、パンチで前に出るパトリッキーに対して、ローキックやボディで応戦するクィリー。途中でパトリッキーがラッシュを仕掛けるが大きなダメージには繋がらず、ラウンド終了
2R、1分を過ぎようとした頃、パトリッキーの電光石火の右フックがクィリーの顔面を捉える。クィリーは一瞬意識を失い、マットにグローブをつける。踏ん張って立ち上がろうとするクィリーをパトリッキーは猛追撃!クィリーはあまりに猛烈なパトリッキーのラッシュに戦意を喪失し、ただただガードを固めるのみ。ここで審判が続行不能と判断してストップ。
前回のリベンジを、クィリーの故郷ダブリンで果たし、そしてついに、弟パトリシアに続きライト級王者に輝いた!
※画像URL:https://www1-cdn.sherdog.com/_images/pictures/20211106075435_A41I7528.JPG(sherdog.comより引用)
チャンピオンベルトを掲げ、誇らしげにパトリッキーが試合後インタビューに現れた。
この日の感想を聞かれると「幸せです。とても楽しい数分間でした」と語り、「試合後にはクィリーと共に写真を撮り「再戦してくれてありがとう」と感謝を伝えたよ」と、力を出し切って白黒をハッキリ付けた事で両者間のわだかまりもスッキリしたようだ。
その翌年、弟のパトリシオがAJ・マッキーに勝利して、ベラトールフェザー級王者に返り咲き、なんと兄弟でベラトールの王者になるという快挙を成し遂げる。誰からも注目されず、マスコミにさえ取り上げられずに、ひたすら鍛錬を積みながら試合を重ねていたあの不遇の時代。そこから見事に這い上がり今やピットブル兄弟はベラトールの顔となった。
だが今年(2022年)11月に予定されている初防衛戦は、今やベラトールの台風の目となっている、プロデビュー15戦15勝、しかもその殆どが1RKOという怪物、ウスマン・ヌルマゴメドフである。まだトップファイターとの試合は行われていないが、間違いなく強敵となるだろう。
さらに背後からはあの”コーカサスの死神” トフィック・ムサエフがベラトールに移籍し、虎視眈々のパトリッキーの首を狙っている。
モンスター揃いのベラトールライト級でパトリッキーはどこまでベルトを守る事が出来るのか、そしてパトリッキーがいつまたRIZINに乗り込んでくるのか、”狂犬”にRIZINのリングを食い荒らされぬよう、RIZINの選手も準備をしておかなければならないだろう。これからもパトリッキー・ピットブル・フレイレ選手からまだまだ目が離せない。
パトリッキー・”ピットブル”・フレイレの知りたいトコ!
パトリッキーの家族や子どもは?
パトリッキーは時々インスタグラムに息子と思われる子どもや、奥さんの写真をアップしている。奥さんは相当美人で、今もラブラブな様子だ。
https://www.instagram.com/p/CV0zdoEq8Uk/?hl=en
https://www.instagram.com/p/CUQYlakFFYZ/?hl=en
過去には家族への彼の熱い想いが記事になっている。
Days after manager’s death, Patricky Freire enters Bellator 36 with heavy heart
『フレイレは、ブラジルではスポーツでお金を稼ぐことが難しいため、4勝1敗でキャリアが終わりかけていたことを認めている。
何しろ、彼には養うべき家族がいる。5年連れ添った妻がおり、3歳の娘もいる。そのため、他の仕事を探すことも考えた。
しかし、彼の夢は戦うことだった。31カ月ぶりに復帰したフレイレは、2010年4月のGouveia Fight Championshipのショーで勝利を収め、さらに成長し続けた。
3ヶ月の間に3勝をあげ、これは彼のプロキャリアの中で最も活発な連戦であった。家庭を優先するフレイレは、トレーニング以外の時間もバランスよく過ごしている。』
「トレーニング以外の時間は、ほとんど家で家族と過ごしている」とフレイレは語る。「僕には妻と娘がいて、彼らは僕をとても幸せにしてくれる。家族とテレビでMMAを見ることも多い。これは試合に向けて集中力を保つのに役立っているんだ。』
こんなに強くて家族想いのパパがいるなんて、子ども達はさぞかし誇りに思うだろう。
強すぎる兄弟の絆
パトリッキーがベラトールライト級王者に輝き、次戦の相手を模索する際にこういう記事が出ていた。
“2021年11月に空位となっていたベラトール・ライト級のベルトを獲得したパトリッキー・フレイレは、弟のフェザー級王座を奪ったA.J.マッキーではなく、別の相手との対戦を考えているようだ。
パトリッキーは「弟がマッキーと王座を賭けて再戦できるようにしたいので、俺は当分の間、邪魔をしないようにしたい」と語り、さらに
「いつでも、誰とでも戦う。俺はファイターなんだ。逃げるのが好きなヤツもいるけどね。俺はどんな相手でも断らない。理由は弟だけ。弟の将来のAJとの再戦を邪魔する事になるからだ」と弟への気持ちを明かした”
パトリッキーの為にライト級王者を返上した兄想いのパトリシアと、弟想いのパトリッキー、この2人は実力もさることながら、その絆の強さもベラトールの中で最強だろう。
2人がここまで強くなった理由
なんと、ピットブル兄弟は、幼少期、自宅で暴漢に襲われた経験を持っている。
その時の経験を詳しく語った海外の記事を要約すると、ある日、刑務所から連続強姦魔を含む複数の受刑者が脱獄し、警察官であるピットブル兄弟の父が銃を持っていると言う噂を聞きつけて、それを奪いにやってきた。
玄関を開けようとする男たちの物音に気づき、母親が銃を持ってリビングに向かうと、いつも閉めているはずの窓が開いている、その窓からリビングに忍び込もうとする男の姿を確認すると、母は迷わず引き金を引き、その男の頭を吹き飛ばしたそうだ。
その一部始終を兄弟は見ていて、かつ、弟のパトリシオは打ち殺された男の死体を見に行ったらしい。頭が吹き飛んだ男の死体を見て以来、ずっとその光景が頭から離れず、どんな強敵と戦う時も「あの日以上に恐ろしい事は起きない」と感じるそうだ。
幼少期の強烈なトラウマが、ピットブル兄弟の驚異的な強さと精神力を生み出す原動力となったのだ。
まとめ
ここまでパトリッキー・”ピットブル”・フレイレのストーリーを見てきたが如何だっただろうか?
貧しいブラジルの郊外に生まれ、兄弟喧嘩がきっかけで格闘技を始め、プロになってからもマッチメイクの難しさや、資金の少なさに苦しみ、ベラトールに入ってからも不遇の時代を過ごしてきたが、弛まぬ努力と不屈の精神がパトリッキーを確実の一流の選手に導き、今やベラトールのみならずMMA界全体の注目の的となっている。
今後は、快進撃を続けるヌルマゴメドフの勢いを”ベラトールの番犬・ピットブル”として止める事が出来るのか、トフィック・ムサエフとの再戦は叶うのか? マイケル・チャンドラーとの決着は? RIZINへの参戦は今後あるのか?など、まだまだ興味の尽きないパトリッキーの今後だが、分かっている事は、彼がこれからも戦い続け、我々に再び興奮と驚き、そして気づきを与えてくれるだろうという事。
これからの彼の更なる活躍と、また日本で彼に会える日が来るのを期待して、これからもみなさんとパトリッキー・”ピットブル”・フレイレを応援していきたい。
※画像URL:https://https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16782696/rc/2019/12/31/30ac5941ec7c66484d8c9e0bace9fbe0bf979cfd_xlarge.jpg(RIZIN公式HPより引用)
※アイキャッチはRIZINの公式HPより引用