山本美憂は現在RIZINで活躍するファイター。かつては世界的なレスリング選手だったが、42歳という年齢でMMAに転向すると、一気にRIZIN女子トップファイターへと駆け上がった。
レスリングで鍛えられたフィジカルとパワー、42歳という年齢を跳ね返し、一気にタイトルコンテンダーまで上り詰めた女王蜂
今回は山本美憂のこれまで、そして、どのような思いで戦っているのかを紹介したい。
プロフィール
名前 :山本美憂
生年月日 :1974年8月4日(48歳)
出身地 :神奈川県川崎市
身長 :156 cm
体重 :49.0kg
戦績 :13戦6(0KO)勝7敗
階級 :アトム級
所属 :KRAZY BEE / SPIKE22
獲得タイトル :レスリングで全日本優勝、世界選手権優勝など多数
入場曲 :I Believe
バックボーン :レスリング
公式HP :なし
Twitter :山本美憂
Instagram :Miyuu Yamamoto
YouTube :山本美憂 MiyuuYamamoto
アパレル :GK‘s
ファンクラブ :なし
山本美憂のキャリア
レスリング界のレジェンドのRIZIN電撃参戦!
山本美憂は日本女子レスリング界のパイオニアだ。まだオリンピックに女子レスリングがなかった頃、そして全日本女子選手権すらもなかった頃から第一線で活躍を続けたアスリートだ。
2016年8月1日レスリング界と日本MMA界に衝撃のニュースが走った。それが山本美憂のRIZIN参戦だ。レスリング選手としてではない。MMA選手としてだ。
「まさか自分がリングに上がるとは思っていなかったのでびっくりしています。これは凄くいいチャンスだなと思ったので出ることを決めました。弟(山本”KID”徳郁)は総合で出るのにはじめは心配していました。いまは弟にコーチをしてもらい、息子(山本アーセン)とはチームメイトとして一緒に頑張っている。山本ファミリー家族一丸となってトレーニングしている。こんな幸せなことはない。自分がオリンピックに行けなかった理由はこの幸せのためだったんじゃないかと思っている」
美憂はレスリング選手として、オリンピックに出場することは最後まで叶わなかった。世界選手権を4度制覇する偉業を成し遂げながらも、時代がそれを許さなかった。
今までも、他競技のアスリートがMMAへと転向することはあった。石井慧、吉田秀彦、瀧本誠… だがどの選手も共通して言えることは、20代〜30代の間に転向している。
美憂のRIZIN参戦が発表されたとき、年齢は42歳。その挑戦はあまりにも無謀なことに思えた。しかし、榊原代表も、美憂もこの挑戦を思い出づくりとして終えるつもりは全くない。
「年齢は関係ない。トップアスリートとして追い込んできた山本美憂をこのままで終わらせていいのか」
榊原代表は、アスリートとして美憂がRIZINに参戦することを強く望んだ。そしてその熱意に応えた美憂にはオリンピック出場を逃したから、ということ以上に当時明かしていなかった秘めた熱い想いを持ってMMAへと挑んだ。そしてここから、アスリートとして、それもMMAファイターとしての山本美憂の第二章が始まったのである。
当時、RIZIN女子は、RENAを中心に据えて、大きな盛り上がりを見せようとしていた。派手なファイトスタイルに、華やかな見た目。そしてその強さ。RENAはスタートなる素質を兼ね備えた選手だった。
そして美憂は、そのRENAの対戦相手に抜粋された。準備期間は、わずか3ヶ月しかない。レスリングだけではなくスライキング、柔術、やらなくてはならないことは山のように存在する。山本一族のDNAを持ってしても、その全てを仕上げることは不可能ということは言うまでもないだろう。
この試合、美憂は敗北した。RIZIN女子格闘技の火をつけたと言っても過言でないこの一戦は、RENAの衝撃の一本勝ちで幕を閉じた。
美憂は流石のレスリングエリートといえる戦いだった。タックルで2度テイクダウンを奪うことに成功し、ストライキングに怯えるような様子もない。しかし、やはりと言うべきか、適応できていない部分の方が多い。2度目のテイクダウンに成功すると、今まで受けたことのない蹴り上げを顎に貰い、姿勢が崩れる。そのまま3度目のタックルをがぶられると、ニンジャチョークにて締め上げられると力無くタップし、試合が終了した。
この寝技への対処は、美憂をこの後も苦しめ、2戦目でも、アンディ・ウィン相手に同様の敗北を喫してしまう。
ボクシングを強化し、初勝利を掴まんと挑んだ一戦。デビュー戦とは別人のような動きを見せ、ボクシングでもレスリングでも優位に立たんとした美憂だったが、最後はアームバーでタップした。テイクダウンを奪い、攻勢を仕掛ける中での一本だった。
敗北は敗北だ。しかし、この日の美憂をみて、今後に期待せざるを得ない、そんな一戦だ。MMAに転向して、わずか2戦でうまく行くわけがない。美憂はこの日、確かな成長の跡を残した。初勝利の日は遠くない…そう思ったファンは多く、そしてその日はついに訪れる。
初勝利、女子スーパーアトム級トーナメント参戦
ここまでMMAの洗礼を受けていた山本だが、2017年、3戦目にしてついに初勝利を手にする。
テイクダウンからトップキープ、パウンドというレスラーの勝利の方程式を完全にハメた美憂は、キャシー・ロブを3Rフルに渡って支配し、ついに初勝利を手繰り寄せる。
そして、同年に開催される、女子スーパーアトム級トーナメントでの優勝と、デビュー戦で敗北したRENAへのリベンジを誓い、次戦のトーナメント初戦に挑む。
しかし、美憂の苦しい時間はまだ終わらない。
「また振り出しに戻っちゃったかなぁ」
アイリーン・リベラを相手に、女子スーパーアトム級トーナメントの一回戦に臨んだ美憂だったが、またもや一本負けを喫してしまう。
警戒なステップからの右フックは完全に美憂の武器の一つだ。テイクダウンも奪い、試合を優勢に進めたが、最後には寝技で絡め取られてしまった。
試合後には今後の目標について、「今は何も考えられない」と語った。しかし同時に、「とにかく自分が強くならないといけないなと思って」と語る。
そしてその「強くなる」という言葉はいよいよ実を結び、現実のものとなる。
覚醒
連戦連勝!目指すはタイトル
2018年7月、美憂は再起戦を行なった。前回の敗戦からおよそ9ヶ月。美憂に時間が必要だったことは言うまでもない
対戦相手は石岡沙織。DEEP JEWELSのエースとして活躍し、空手がベースの打撃も得意としたトータルファイターだ。さらに、15勝のうち9勝が一本勝ちと寝技も得意する選手だ。苦難が続く美優に対し、RIZINは随分と厳しい対戦相手を用意した、と言う印象だった。
しかしこの試合、これまでの美優ではなかった。
キャリアで上回る石岡を、開始早々左ストレートで吹き飛ばすと、次々とテイクダウンを奪い、試合を支配した。2Rには逆に豪快にテイクダウンを奪われるシーンも見せたが、スクランブルの展開でもイニシアチブを握る。
石岡が逆転をかけて仕掛けたアームバーも冷静に対処し、勝利を手繰り寄せた。
何が美憂をここまで変えたのか。
ボクシングの強化は大きな要因の一つだ。打撃の主導権を握ることで、試合の展開を選ぶことができるようになった。苦し紛れのタックルはなくなり、消極的な仕掛けが少なくなっていたことは明白だ。
「気持ち」と言うものは目に見ることができない。MMAファイターの強さの理由をその言葉で片付けるには、あまりにも非論理的だ。しかし、それは確実に存在し、時にはファイターを大きく成長させる。
美憂にもこの時、技術や理屈を超えた、強くならない理由があった。それは愛する弟の存在だった。
最愛の弟、山本”KID”徳郁の死
山本”KID”徳郁―――。
日本のMMAファン知らない人はいないだろう。美憂の実の弟である。そのKIDが癌と闘病中であることが山本の試合が行われた1ヶ月後に公表された。
KIDは、2016年にはすでに癌に侵されていた。これは山本がRIZINに参戦した頃だ。
「弟の病気(がん)を知って、ずっとそばにいたいと思った。MMA(総合格闘技)を始めればコーチは弟なので、そばにいられる。それで転向することを決めた」
リオデジャネイロオリンピック出場が叶わなかったこと、それがRIZIN参戦の理由だった。しかし、それは本当の理由ではなかった。癌と戦う弟の側に少しでも長くいるためにMMA転向を決めた。
「美憂と一緒にRIZINに出たい」
KIDの願い、そしてその思いは美憂も一緒だったはずだ。二人でRIZINに出場して、そして二人で勝利するために―――。
願いは叶わなかった。2018年9月18日、41歳という若さでKIDはこの世を去った。山本がアンディ・ウィンとの試合を控えた12日前のことである。大きな喪失感と悲しみの中、山本は試合に挑んだ。
「あの大きい会場でI Believeを皆さんに聞かせてあげないといけないと思って」
山本は亡き弟の入場曲「I Believe」を背にリングへと向かっていく。天を見上げ、KIDに祈りを捧げた美憂はロープを跨ぎ、リングへ足を踏み入れる。
試合は美憂が勝利した。大きな喪失感と悲しみの中、かつて敗北した相手へのリベンジを果たした。
試合が終わると、天を指差し、美憂は亡き弟に勝利を捧げる。
「欠場することは全然考えていなかった。少しの迷いもなかった。」
KIDも母親が亡くなった3日後にレスリングの大学選手権に出場して優勝した。母のために勝利を捧げた弟と同じく、自らも弟に勝利を捧げる事を選んだ。かつて弟が喪失感に沈む美憂を勇気づけたように、美憂は家族を勇気づけた。
4連勝、RIZIN女子トップファイターに
石岡戦、アンディ・ウィン戦と2連勝を遂げた美憂は、次に迎えた長野美香も問題なく退け3連勝を遂げた。
そして4連勝をかけた一戦。RIZIN参戦以来、最大のビッグチャンスが美憂に訪れる。
この当時、RIZIN女子の勢力図は大きく変わっていた。かつてエースとして中心に居たRENAは、2度の敗北によりタイトル戦線から一歩後退していた。そしてRENAから2度の勝利を収めた浅倉カンナが、次の美憂の対戦相手となった。
「次期タイトルに挑むための査定試合になるのかなと」
榊原代表はこう語った。3連勝を果たした山本は完全にRIZIN女子アトム級のタイトルコンテンダーであり、浅倉との一戦に挑む。
レスリングをバックボーンとする両者の試合は組みによる主導権の奪い合いとなった。そしてそのレスリング力の差が、試合を勝敗を決定づけた。
スタンドで主導権を握らせない美憂は、何度も浅倉のタックルを切り続けてパウンドを浴びせ、かつてタイトルマッチにも挑んだ実力者を、何もさせずに勝利した。
連勝を4に伸ばした美憂は、いよいよタイトルが見えてきた。そして次戦、タイトル挑戦権をかけた試合に挑むこととなる。
タイトルマッチを賭けた難敵との戦い
RIZIN女子アトム級は、王者浜崎を中心に、RENA、浅倉カンナ、山本美憂の4人が中心となって盛り上がりを見せていた。そしてそこにハム・ソヒが割って入ろうとしていた。
ハムはこの階級では世界でも屈指のストライカーだ。思い切りのいい打撃、そしてタックルを切る能力も高く、寝技もそつなくこなす穴の少ないオールラウンダーだ。そして美憂はハムとタイトル挑戦権をかけて戦った。
結論から言うと、この試合、美憂はTKOによる敗北を喫した。初のKO負けと、連勝が途絶えると共に、タイトルは遠ざかっていった。ハムの強さが際立った、一方的な試合だった。
ハムは開始早々から右手を伸ばし、美憂との距離を測るようにして試合に挑んだ。美憂はこれまで右のパンチを武器とし、鋭い右ジャブ、右フックで主導権を握る展開で勝利を積み上げてきた。この試合、序盤からハムのプレッシャーはかなり強く、伸ばした前手が障害となり、山本の右のパンチは空を切る。
そしてこの展開で山本がタックルを選択した。選択させられたと言うのが正しいのかもしれない。
美憂はプレッシャーに耐えきれずにタックルに入ることがしばしばある。しかし、ストライキングが向上してからは逆にプレッシャーを与え、持ち前のフィジカルとレスリングで勝利を重ねてきた。しかし、ハムのストライキングのスキルは、今までの対戦相手とは別格だった。
一度目は成功し、ハムに尻餅をつかすことに成功した。しかし、そう簡単にコントロールはさせてくれない。すぐに立たれてしまい、打撃の脅威に晒される。2度目の美憂のタックルは明らかに距離を見切られており、テイクダウンに至らない。3度目はハムに尻餅をつかせるものの、またもやコントロールしきれずにブレイクがかかる。もはやタックルは完全に見切られており、ハムの打撃が美憂を捕らえる展開となってしまう。
2Rに入ると、次々と打撃を浴び、片足タックルをがぶられそのままパウンドを浴び続ける。そしてそのまま試合が止まった。
MMAに挑戦して4年―――。ようやく掴みかけたチャンスは眼前で通り過ぎて行った。
限界なのか。やれることはやりきった。この時点で美憂ができることはやりきっただろう。その上での敗戦だ。
それでも、歩みを止めることはない。もっと強くなると、再びタイトル戦戦への浮上に向けてアム・ザ・ロケットとの次戦に挑む。
再起戦、そして千載一遇のチャンス
この試合、ムエタイをバックボーンとするアムに対して、幾度となくテイクダウンを決め、パウンドを浴びせ続けて再起戦を勝利で飾る。そして唐突にタイトル獲得のチャンスが舞い降りてきた。
美憂に勝利し、そしてその後、王者浜崎朱加を破りRIZINスーパーアトム級王座を獲得したハム・ソヒが、タイトルを返上した。そして空位となった王座を賭けた戦いに、前王者の浜崎、そして山本が抜粋されたのだ。
「これまでの集大成」として挑んだタイトルマッチ。しかし、ここでもベルトに手は届かなかった。
対戦相手の浜崎はかつて世界で活躍したファイター。寝技のレベルはこれまで対戦してきた相手とは相手とは1枚も2枚も上手であり、容易にタックルに入ることは御法度といえる。
しかしながら山本はこの御法度ともいえる行為を早々に行なってしまう。ベタ足でのしのしとプレッシャーを掛けてくる浜崎に対して、右フック、ジャブで対抗するものの、我慢しきれなかったと言うような形でタックルへといってしまう。
「ずっと立ちで行きたかった」「チームで考えたゲームプランと全く違うことをやってしまった」
ガンガンくる浜崎に対し、エンジンをかけた結果タックルに入ったと語った山本だったが、実際はプレッシャーに圧された結果だろう。タックルに入り、浜崎からテイクダウンを奪ったように見えたが、実際は浜崎が腕を抱え、山本を引き込んだ。そのままアームロックを狙う浜崎を警戒し、対処する山本だが、腕に気を取られている間にネックシザースで締め上げられ、千載一遇のチャンスを逃すこととなった。
百戦錬磨の浜崎の寝技に対処し切ることは難しかったことは明白だ。プレッシャーに対し、我慢し切ることができなかったことが敗因と言っていいだろう。
「自分のやらなきゃいけないことをできなかった時点でまだまだだなと思う。これからもっともっと強くなる」
試合後にこう語った山本だが、この後再び連敗へと陥ることとなる。
3連敗…今後は?
タイトル獲得を逃した山本は、約一年間の期間を経てかつてのライバル、RENAと沖縄の地で対戦する。山本は2016年のRENA戦後に沖縄へと移住しており、まさに運命と言っていい対戦カードだった。そして、この試合はKIDと共にリベンジを誓った一戦でもあった。
5年前、RIZIN女子格闘技に火をつけたと言っても過言ではないこの対戦は、RENAの衝撃の一本勝利という結果を迎えている。あれから両者共に、挫折と栄光を味わってきた。
そんな二人が、沖縄のメインイベントで再びリング上で向かい合う。
当時47歳の美憂。全てのMMA選手を含めても、この年齢で現役を続けた選手はそう多くない。衰えを感じない、と語る本人だが、流石にかつてほどの動きのキレはなくなってきている。それでもこの試合、美憂は素晴らしい試合を見せた。
左右のパンチをヒットさせ、何度もテイクダウンに成功した。アームバーも完璧に対処し、パウンドを浴びせる。スタンドでもRENAに主導権を握らせず、勝ちが濃厚となってきた場面で試合は唐突に幕を閉じた。
レスリングのプレッシャーで、打撃でも手が出なくなってきたRENAに対してのびのびと試合を進める。そんな中でトライしたタックル。そこにRENAの膝が完璧に合う。体の力が抜けたかのように動けなくなり、そのままパウンドを浴び続け、敗戦となった。
流石に限界かーー。キャリア末期の選手によくある負け方の一つだ。有利な展開を作り、追い込んで行っても最後には勝ち切ることができない。引退間際の選手が同様の負け方をすることを何度も見てきた。年齢は47歳。引退を決意しても誰もが納得するキャリアだ。
しかし美憂は戦うことを辞めない。むしろさらに強くなることを望んでいる。そして再び沖縄の地で勝利を求めて戦うものの、待っていたのは泥沼の3連敗だ。
2022年7月、大島沙緒里戦。柔道をベースとする大島と、レスリングをベースとする美憂の試合は激しいスクランブルの展開となり、お互いにグラウンドでの主導権を握らせない。試合が進むにつれ、山本が要所でパンチをヒットさせ、テイクダウンを奪うなど有利に進めたまま試合を終えた。
美憂の勝利に終わったかに見えたこの一戦だったが、判定は大島を支持した。初の3連敗だ。
美憂は負けるたびに「もっと強く」と口にしてきた。そしてそれはその通りとなり、遅咲きのレジェンドは、気が付けばタイトルマッチの舞台に立つほどの選手へと進化を遂げていた。しかし、2022年現在48歳だ。アスリートのサクセスストーリーは必ずどこかで終わりを迎える。十分すぎるほど戦ってきた。勝てない日々、弟の死を乗り越え、タイトルマッチまで登ってきた。十分すぎるキャリアだ。
格闘家をやめても新しい人生がまた始まる。41歳から始まったキャリアと、20歳から始まったキャリアは同じだけの試合をしていたとしても大きく異なる。6年のキャリアとはいえ、ダメージは間違い無く蓄積してくるはずだ。多くの家族と、そして自分のために一戦を退くことを考えてもいいのではないか。
しかし、おそらく戦うことをやめないだろう。
「ノリに負けないくらいの試合」
美憂はこのために強さを求めて戦っている。
山本美憂の知りたいトコ!
恋多き女性!現在の夫は?
2022年現在、48歳とは思えないその強さと美貌で多くのファンを虜にしている美憂。日本女子レスリングのパイオニアとして大活躍していた頃から強さと美しさを兼ね備えた女王だった。
そんな美憂は非常に恋多き女性で、これまで4度の結婚を経験している。
1度目の結婚は1995年、21歳の頃にJリーガーの池田伸康と結婚しレスリングを引退。池田伸康との間に産まれた長男が現在、MMAファイターとして活躍する山本アーセンだ。1998年にはレスリングに現役復帰し、1999年に1度目の離婚を経験。2度目の結婚は2000年に、現在RIZINにもセコンドとして足を運んでいる格闘家のエンセン井上と結婚。そしてこの際もレスリングの現役を引退している。2004年のアテネオリンピックで女子レスリングが初めて正式種目になることを機に現役に復帰をするものの、オリンピック出場を逃し再び引退。同年8月にエンセン井上と離婚し、2度目の離婚。2006年にはトリノオリンピック男子アルペンスキー代表の佐々木明と結婚、次男のアーノン、長女のミーアが誕生。2011年には、ロンドンオリンピック出場を目指し、レスリング現役復帰。同年に、佐々木明と離婚し、3度目の離婚。
そこからしばらくは独身のまま、2016年にはMMAファイターとしてデビューを果たす。練習拠点をグアムへと移し、グアムのMMAファイター、カイル・アグォンと出会い4度目の結婚をする。
このように結婚と離婚を繰り返す非常に恋多き女性。その美貌からアタックされることもさぞ多いことが容易に想像できる。
そんな自身の恋愛について以下の動画で語っている。
まとめると
- 2回目以降はもう結婚しないと思っていた。
- 今の旦那(カイル・アグォン)とはあまり喧嘩はしない
- 4回目の結婚はもうあんまり周囲の反応もなかった
- どっちかというとハンター。気に入った人に自分から行く
- カイル・アグォンも自分からアプローチした
- 子供はやりたいことをやるように育てている。格闘技はやってほしくない
最終的に「5度目の結婚はもうない」と語っている。かなりの恋愛体質のようだが、今は喧嘩もなく幸せな日常を送っているようだ。
レスリング一族の長女!日本女子レスリング界のパイオニア
山本美憂は、1974年、山本家の長女として川崎で生まれた。父は、レスリングでミュンヘンオリンピックに出場した山本郁榮である。弟は山本”KID”徳郁、妹は山本聖子、息子は山本アーセン。全員、レスリングで輝かしい実績を残しているレスリング一家だ。
美憂も、幼少期からレスリングの英才教育を施され、若干13歳で、全日本女子選手権に優勝するなど日本女子レスリング界の第一人者である。その後は、全日本女子選手権を4連覇するなど、圧倒的な実績を残す。1991年に17歳で世界選手権に初出場を果たすと、史上最年少で優勝を果たした。
その後は、海外留学なども経て、全日本選手権3階級制覇、1994年、95年には世界選手権連覇など、まさに女王として君臨したが、結婚を機に引退。1996年には山本アーセンが誕生する。1998年には現役復帰するとすぐに世界選手権を制覇するが、翌年には離婚をしてしまう。しかし、2000年、エンセン井上と結婚し、再び現役を引退した。
その後、2004年のアテネオリンピックで、女子レスリングが正式競技になることを機に現役復帰。しかし、アテネオリンピック代表選考会で3位に終わり、オリンピック出場を逃したことで3度目の引退。その後しばらく現役を離れていたものの、山本家の悲願であるオリンピックを目指し、2011年には現役復帰を果たす。2012年のロンドンオリンピック出場を目的とした現役復帰だったが、全日本選抜選手権で結果を出すことができずに、またもオリンピック出場は叶わなかった。
その後は、生活の拠点をカナダに移し、諦めずにオリンピックを目指した。2014年にはカナダカップで3位に入賞するなど、再び実績を積み上げるものの、市民権の取得が間に合わず、オリンピック出場は叶わぬ夢となってしまった。
そして、2016年、RIZINへの参戦が発表され、ついに総合格闘家としてのキャリアをスタートさせることとなる。
山本がレスリングで活躍した時期、日本女子レスリングは黎明期であり、山本は日本女子レスリングのパイオニアとも言える存在。そして妹の山本聖子もそれは同様で、あの吉田沙保里すらも山本聖子を「雲の上の存在」と思っていたそうだ。
レスリングで一つの時代を築き上げた山本美憂と山本聖子。そして一歩で日本MMAで一つの時代を築いた山本”KID”徳郁。改めて山本一族のDNAがいかに優れているかということを再認識する。
山本美憂とダルビッシュ有の関係は?
山本美憂とダルビッシュ有の関係は、義理の姉弟。これは妹の山本聖子が、ダルビッシュ有の妻であるため。
ダルビッシュ有は山本美憂だけでなく、山本一族と関係良好で、美憂の次男アーノンが野球を始めたのはダルビッシュ有の影響があったという。次男アーノンはダルビッシュ有に野球を教えてもらっているようだ。
また美憂の弟、山本”KID”徳郁が亡くなったときにはブログでその思いを語っていた。
ブログ更新しました。
時間かかりました。。https://t.co/MqvTpgkQEs— ダルビッシュ有(Yu Darvish) (@faridyu) September 18, 2018
このように山本美憂含め、ダルビッシュ有とはかなり関係良好だ。
まとめ
これまで山本美憂のキャリアについてご紹介をしてきた。
現在3連敗中、2022年現在で48歳とキャリアの岐路に立たされていることは間違いない。それでも41歳でスタートさせたMMAファイターしてのキャリア。わずか6年でRIZINのタイトルマッチまで辿り着いたレジェンドであることは間違いない。
どんな選択をしようとも、もう彼女のキャリアは決して長くはない。日本女子レスリング界、そしてRIZIN女子のパイオニアがリングで戦う姿をできる限りこの目に焼き付けよう。
※アイキャッチはRIZINの公式HPより引用