金原正徳の選手紹介 〜KIDに勝った男“裏・日本最強”のすべて〜

今回は、RIZINのスーパースター朝倉未来も「メチャメチャ強い」と認める“裏・日本最強”の男、金原正徳を徹底紹介。

最初に、金原のプロフィールからどうぞ。

画像1: 入場

 

金原正徳のプロフィール

名前     :金原正徳
生年月日   :1982年11月19日
出身地    :東京都武蔵村山市
身長     :172cm
体重     :66.0kg
戦績     :48戦 29勝(11KO 11SUB) 14負 5分
階級     :フェザー級
所属     :リバーサルジム立川ALPHA(代表)
獲得タイトル :初代戦極フェザー級王者
バックボーン :ブラジリアン柔術(黒帯)
Twitter      :金原正徳の金ちゃんTV
Instagram      :金原正徳 / kanehara masanori
YouTube            : 金原正徳の金ちゃんTV

金原は、現在39歳の大ベテラン。2020年2月のRIZINデビュー戦でビクター・ヘンリーに敗戦し引退を示唆するも、2021年10月のRIZIN.31で現役復帰。元DEEP王者芦田崇宏にKO勝ちするなど現在2連勝中! 衰え知らずの“裏・日本最強”金原正徳のプロデビューからその強さの秘訣に迫る。

 

実は敗北から始まる“裏・日本最強”のプロキャリア

まずは、格闘家人生を歩む前の金原について。

まだ格闘技を始める前は、小・中学校と野球をやっていた金原。都立田無工業高校に進学し野球を続けるつもりだったが、高校にグラウンドがないことを知り野球を続けられず、登校せずに友達と遊ぶ日々が続く。

その後、高校を1年で中退し、近所の道場を見学したことをきっかけに格闘技を始めた金原。元々総合格闘技が好きというわけではなく、格闘技なら魔裟斗選手が好きという程度だったが、暇つぶし感覚で練習を続けたという。

2003年にDEEPでプロデビューを果たすも、2ラウンドにチョークスリーパーを決められ敗北。金原はこの敗戦をきっかけに格闘技に真面目に取り組むことを決意した。その後は、主戦場をZSTに移して戦績を積み、“ZST最強の男”として名をあげていった。

この頃に、アメリカに練習に行く機会があり、金原は「UFC」の存在やアメリカの過酷な練習環境に刺激を受け、将来は海外で活躍できる選手になることを心に誓った。帰国後は「HERO’S」のオープニングファイトにも出場し、今では盟友の所英男選手との交流も始まった。

 

グランプリ優勝! 初のビッグタイトル獲得

次は、金原の主要な国内戦について。

2007年頃に国内の主要総合格闘技団体である「PRIDE」と「HERO’S」が活動を休止し、新たに両者の流れをくむ格闘技団体「DREAM」と「戦極」という二つのメジャー団体が立ち上がった。金原の階級であるフェザー級では「DREAM」と「戦極」の両方でグランプリが開催。金原は、練習仲間の所選手が「DREAM」に参戦することなどもあり、2009年の戦極フェザー級グランプリへ参戦することを決意した。

グランプリ初戦の「戦極〜第七陣〜」では、キム・ジョンマンに3−0の判定勝ち。2戦目の「戦極〜第八陣〜」では、後にUFCでタイトルマッチにも挑戦する“コリアンゾンビ”ことジョン・チャンソンにも3–0の判定勝ち。「戦極〜第九陣〜」の準決勝では優勝候補の日沖発選手に3−0で判定負けをきっするも、日沖選手のドクターストップによって金原が同日のグランプリ決勝に進出。決勝では小見川道大選手に2–1の判定勝ち。見事グランプリ優勝を果たし賞金300万円を手に入れ、初代戦極フェザー級王座に認定さた。

2009年にグランプリで初のビッグタイトル獲得となった金原。この優勝は、金原にとって大きな自信となった。

 

日本人で初めて「神の子」 “KID” に勝つ!

グランプリ優勝を果たした2009年の大晦日に「DREAM」と「戦極」の団体対抗戦が発表され、金原は「DREAM」のチャンピオンであるビビアーノ・フェルナンデスとの王者対抗戦がオファーされたが消滅。次にDREAMの高谷裕之とのオファーが来るも、日本格闘技界の顔でもある「神の子」山本“KID”徳郁に対戦相手が変更された。契約体重もフェザー級ではなくKID選手の階級である63kg契約。金原は、突然のKIDとの対戦オファーを2度断ったものの、ファイトマネーを上乗せするということで対戦を承諾。

実績では劣る金原だが、記者会見では「相手は過去の選手」「今年やってきたことが違う」など激しく煽り、豪華な対抗戦カードの中でも大注目のカードに。

試合は序盤からリーチ差を活かして打撃戦を制した金原が寝技の局面も優勢に進め、2ラウンドにパンチでKIDから明確なダウンを奪った。3ラウンド目にはKID選手に猛反撃を浴びるも凌ぎ切り、判定3–0で見事勝利!

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金原は日本人で初めて「神の子」を破り、名実ともに日本のトップファイターとなった。

 

転がり込んできた!? 悲願のUFCデビューへ

2010年、金原は、「戦極」から「SRC」に名称を変更したSRCフェザー級タイトルマッチで、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった挑戦者マルロン・サンドロと対戦。金原は開始38秒に右アッパーで、衝撃的なKO負けをきっし王座から陥落。その後、金原はアメリカのジャクソンズMMAで練習をするようになり、UFCで戦いたいという思いが強まっていく。

2010年の年末には、DREAMとの交流戦で前田吉朗を相手に復帰戦を行うも、1ラウンドにスタンドパンチ連打でTKO負け。この頃から日本ではテレビ局やメディアが格闘技から離れ、日本格闘技界は冬の時代を迎える。金原はSRCから離れ、目標であるUFCへの参戦を本格的に目指し始めた。

金原は、UFCとの契約を勝ち取るため国内主要団体のDEEPやPANCRASEを中心に参戦していった。金原は、2011年にロシアで開催されたFight Nights 65kg級タイトルマッチでラスール・ミルザエフと対戦するも、TKO負けをきっし王座獲得に失敗。2012年には今後の海外の強豪との対戦に備えフェザー級から一階級下のバンタム級に転向を決意した。

その後、2011年12月にDEEPでトム・マッケンナに1ラウンドTKO勝ち。試合後のマイクでは、客席にいた恋人に公開プロポーズを行なって見事に成功させた。

金原はロシアでの敗戦後、国内団体で連勝し6勝1敗と好成績を残した。

しかし、UFCからのオファーはなく30歳を区切りとして考えていた金原は、今後のキャリアも考え自分で格闘技ジムをオープンさせるなど次に向けて動き始めていた。

そんな中、ついに2014年、当時UFCに参戦していた山本“KID”徳郁が怪我によってUFC日本大会を欠場したため、その代役として金原が選ばれUFC参戦が決定! UFC参戦を諦めかけていた金原にとっては、青天の霹靂だったことだろう。UFC初戦はバンタム級ランキング10位のアレックス・ガサレス選手と対戦し、3–0で判定勝ち。UFCデビュー戦を勝利で飾り、試合後のマイクでは「UFCありがとう!」と叫び、ジムの指導者としてフェードアウトしそうだった自分をもう一度戦わせてくれたUFCに感謝した。

その後は、ハニ・ヤヒーラ、マイケル・マクドナルドなどの強豪選手と対戦し、どちらの試合も勝ちでもおかしくないような激闘を繰り広げるも2連敗してしまいUFCからリリース。

32歳にして思わぬかたちで、世界最高峰のUFC出場をかなえた金原。UFCで奮闘するも1勝2敗でリリースされてしまった後は、一体どのような格闘家人生となるのだろうか?

あの現K-1ファイター不可思とも対戦! 突然のキックボクサー転身へ

UFCリリース後は2016年末に、DEEPでチャーリー・アランツと対戦し開始30秒で圧巻のTKO勝利。しかし、金原は目標であったUFC参戦を果たし、気持ちにぽっかりと穴が空いた状態だったという。そんな時に「挑戦者の気持ちを持ち続けたい」という思いから、キックへの参戦を決意。

2017年にキックボクシング団体KOCK OUTに参戦。同年7月の「ROAD TO KNOCK OUT.2」で元新日本キックボクシング暫定王者、中尾満と対戦し、5ラウンドでTKO勝利をあげる。

 

初戦を勝利で飾った後、当時のRISEライト級王者で現K-1ファイターの不可思選手を次の対戦相手に指名。そして、同年12月の「KING OF KNOCK OUT 2017両国」で「不可思vs金原正徳」が実現。

金原は序盤、パンチで優勢に進めるも、不可思の徹底したローキックを浴び判定負け。

不可思戦は、勝利とはならなかった金原だが、キックボクシングという相手の土俵で元UFCファイターの力を見せつけた。

 

極上の寝技対決! QUINTET参戦からいよいよRIZINへ

金原は、2018年に桜庭和志が主催する寝技格闘技イベント「QUINTET」に参戦。5人の団体戦で行われるQUINTETで金原は、TEAM HALEOの大将として出場し、後のRIZINライト級王者ホベルト・サトシ・ソウザともチームを組んだ。この時、練習でサトシと手を合わせたと言う金原は「手も足も出なかった」と語っている。

QUINTETでは、後にRIZINのグラップリングマッチでも対戦する元DEEPライト級王者中村大介とも対戦。結果は、2分33秒で腕十字固めを極められ一本負け。さらに、RIZIN初戦の相手となるビクター・ヘンリーとも対戦し、7分11秒にアキレス腱固めで一本勝ちを収めている。

そんな中、日本の新たな総合格闘技団体として盛り上がりを見せていたRIZINにUFCトップ選手であった堀口恭司が電撃参戦。金原は堀口がバンタム級グランプリを優勝する姿をみて、堀口との戦いを現役最後の大一番にすると胸に秘めRIZINへの参戦を決意。

2020年、RIZN初出場となったRIZIN.21でDEEPバンタム級王者で、QUINTETでは一本勝ちしたビクター・ヘンリーと対戦。序盤をグラウンドで優位に進めるも、2ラウンドに右ストレートからのパウンドによってTKO負け。試合後に金原選手はここが引き際として引退を表明した。

 

RIZIN初戦の相手、ビクター・ヘンリーにはQUINTETでは勝利したものの、RIZNではリベンジを果たされてしまった金原。引退表明後の金原の動向はどのようなものだったのだろうか?

 

引退撤回から大激戦区のRIZINフェザー級へ殴り込み!

2020年2月に引退を表明した金原。しかし、コロナ禍で試合をしたくてもできない人がいる環境で、周りに試合をする姿を求められているにも関わらず、このタイミングで辞めてしまうのは良くないと感じたこと、加えて、2020年の大晦日に盟友・所英男の劇的一本勝利をセコンドで見届けたことが決め手となり金原は現役復帰を決意。階級も減量の負担が大きいバンタム級ではなく、フェザー級に転向。

2021年のRIZIN.31で元DEEPフェザー級王者の芦田崇宏と対戦。タイミング抜群のテンカオを何発も決め、2ラウンドに右ストレートでダウンを奪ってからパウンドでTKO勝ち。

 

 

翌年のRIZIN TRIGGER 3rdでは、強豪グラップラー摩島一整と対戦。摩島の得意なグラウンドの展開に苦戦するも、3ラウンドにパウンドによるTKO勝ち。

さらに、RIZIN LANDMARK vol.3にはグラップリングマッチで出場し、盟友の所英男とタッグを組んで中村大介・太田忍チームと対戦。試合では、白熱した寝技の展開から中村大介をあと一歩まで追い詰めるも引き分けに終わった。

 

現在も39歳ながら国内の実力者相手に2連勝し、大激戦区のフェザー級でもトップクラスの実力をもつ金原。自身では格闘技は終活中と言うも、RIZIN.31の記者会見では「この(RIZINフェザー級の)ベルトを取りに帰ってきました。それだけです。」と力強く語り、チャンピオンへの思いを持っているに違いない。

今後は、フェザー級王者の牛久絢太郎や、“路上の伝説”朝倉未来、“柔術界の鬼神”クレベル・コイケなどとの対戦が期待されている。ただ、金原のキャリアが終わりに近いのは確か。果たして、現役中にRIZINフェザー級のベルトを巻くことはできるのか。“裏・日本最強”の金原の一戦一戦から今後も目が離せない。

 

金原正徳の気になるトコ!

まとめ

ここまで金原正徳の格闘家人生を振り返ってきましたが、いかがだったでしょうか?

金原はMMAだけではなく、キックボクシングやグラップリングマッチにも参戦し、戦うことへのハングリーさが異常なコンプリートファイターです。実績的にも、戦極時代のフェザー級グランプリ優勝や、「神の子」山本“KID”徳郁への勝利、UFC参戦経験もあり日本を代表するファイターと言えます。

今後もアラフォー世代の星として、私たちに勇気と感動を送る金原正徳の姿に期待しましょう!

 

※アイキャッチはRIZINの公式HPより引用