アレクサンダー・ヴォルカノフスキーの選手紹介 〜“The Great”のすべて〜

UFC無敗の12連勝、フェザー級タイトルを4度防衛の ”ザ・グレート” アレックス・ヴォルカノフスキー。戦績だけ見ると、挫折を知らない恵まれた天才ファイターのように見えるだろう。

しかし実際に彼のキャリアを紐解いていくと、葛藤と挑戦の連続であった事がよくわかる。

いくら勝利を重ねても、大きな舞台から黙殺される悔しさ、人々から真の王者として認められない歯がゆさ、そんな想いと向き合う度に彼は更に強くなり、自分自身を証明し続けて来た。

一見超エリートに見える彼のキャリアの影にどんなドラマがあったのか、今回は“ザ・グレート” アレックス・ヴォルカノフスキーを丸裸にしていこう。

※画像URL:https://ufclivepubstorage.blob.core.windows.net/public-files/98fc7c50-3d1d-4d2e-805f-9b7045edb917%2FVOLKANOVSKI_ALEXANDER_BELT_04-09.png(UFC公式HPより引用)

 

アレクサンダー・ボルカノフスキーのプロフィール

名前 :               アレックス・ヴォルカノフスキー

生年月日 :        1988年9月29日

出身地 :         オーストラリア ニューサウスウェールズ州

身長 :               168cm

体重 :               65.8Kg

戦績 :               25勝1敗(12KO 3SUB)

階級 :               フェザー~ウェルター級

所属 :               シティ・ボクシング

獲得タイトル : 現UFC世界フェザー級王者 UFCパウンド・フォー・パウンド・ランキング1位。

入場曲 :       Men at Work「Down Under 」

バックボーン : ブラジリアン柔術

公式 HP :     https://alexanderthegreatvolkanovski.com/

Twitter :          @alexvolkanovski

Instagram :      alexvolkanovski

Youtube       Alexander Volkanovski

アパレル     https://alexanderthegreatvolkanovski.com/pages/shop

ファンクラブ     ー

今年で34歳になったヴォルカノフスキー。普通ならベテランの領域にいるはずだが、MMAを始めたのが他のファイターより遅かった彼にとっては、まさにこれからが全盛期。一体彼はどのようにしてここまで強くなってきたのか、ここからはヴォルカノフスキーの格闘人生を、彼の幼少期まで遡って見ていこう。

レスラー、ラガー、そしてMMAへ

ヴォルカノフスキーは1988年9月29日、オーストラリアのニューサウスウェールズ州シェルハーバーで生まれた。父親はマケドニア(現北マケドニア)のベランチ村出身で、母親はギリシャ出身である。

幼い頃からグレコローマンレスリングのトレーニングを始め、12歳で国内タイトルを獲得した。 14歳でレスリングをやめ、ラグビーに専念することを決意。高校卒業後は、意外にもコンクリート職人として働いていたそうだ。

ヴォルカノフスキーはラグビーリーグでプレーした…フォワードとして
※画像URL:https://talksport.com/wp-content/uploads/sites/5/2020/07/EceIWpmXQAAqgcK.jpg?strip=all&w=900&quality=100(talkSPORTより引用)

ヴォルカノフスキーはサウスコースト・ラグビーリーグのチームでセミプロのラグビー選手として活躍し、2010年にはリーグの最優秀選手としてメダルを授与されるなど、目覚ましい活躍を見せたが、その傍らで、ラグビーを続けながらMMAのトレーニングを始める。

彼は子供の頃からUFCの試合を観ていたと言い、14歳の頃からレンタルビデオショップでUFCのビデオを借りたり、ペイ・パー・ビューを買ったりしていて、格闘技には元々関心が高かった。

海外のMMAでは、ジムに入って来た新人は「Fresh meat (新鮮な肉)」として格好なしごきの餌食になるそうなのだが、彼の場合、事情はちょっと違ったようだ。

初めてヴォルカノフスキーがジムの門を叩くと、例によって、新人に格闘技の厳しさを教え込もうと、初日から先輩ファイターが組手を要求してくる。

「それが初めてのグラップリングだったんだけど、覚えているのは、彼をとことん叩き潰したって事だね。彼がそのジムに現れる事は二度と無かったよ。でも悪いとは思ってない。自分の事を強いと勘違いしてるヤツをやっつけてやったんだから」

と、この頃から格闘技のとてつもない才能の片鱗と強靭なメンタルを見せていたようだ。

この一件で格闘技への手ごたえを掴んだか、ヴォルカノフスキーは真剣に練習に打ち込み、アマチュアで4戦した後、23歳でラグビーを辞め、プロの格闘家への転身を決意する。

最初で最後の敗戦

2012年、オーストラリアのMMA団体でプロデビューを果たしたヴォルカノフスキーは初戦を判定で勝利、2戦目では早くもCage conquestのウェルター級王者に、3戦目でRoshamboのウェルター級の王者へと破竹の勢いで勝ち進んでいった。

しかし、勢いに乗るヴォルカノフスキーの前に巨大な壁が立ちはだかる。

この時の事を彼はこう語る。

「初めて負けた相手は、当時、その団体でパウンド・フォー・パウンドのナンバーワンだったコーリー・ネルソンだったんだ。まだまだ自分はMMAの新人だったし、その試合をするべきではなかった。また、ウェルター級は、僕の適正階級では無かった。彼を相手にして、自分なりに頑張ったんだけど、うまくいかなかった。その後、彼が強すぎることに気づいて、”ダウンするか、グラップリングの二択しかないと悟り、僕はグラップリングを始めたんだ」

しかし、健闘も空しく、ネルソンの強烈なハイキックの連打とパンチでダウンし、さらにハンマーを振り降ろすような重いパウンドを喰らって、キャリア唯一の敗北を喫した。

身長が170㎝にも満たないヴォルカノフスキーにとってウェルタ―級は重すぎるとこの時悟り、ここからヴォルカノフスキーは徐々に階級を下げていく。

数々のタイトルを総なめ!

ライト級に階級を落としたヴォルカノフスキーは2014年2月1日、Roshamboライト級タイトルに挑戦。迎えたグレッグ・アッツオォーリからギロチンチョークで一本を取り、二階級制覇を達成する。

この理不尽ともいえるヴォルカノフスキーの強さを称え、”ハルク”というニックネームが彼に与えられている。

その後も、全てKOまたは一本での圧倒的な強さで勝利を重ね、2015年6月14日にはフェザー級のタイトルに挑戦。対するジェームズ・ビショップをわずか1R1:39、パウンドによるTKOで降し、Roshamboの三階級制覇を達成する!

1試合を除く全ての試合でKOまたは一本勝ちを決めて連勝記録を伸ばしていくヴォルカノフスキー。2015年には、知っている人も多いだろうRIZINの”お祭り漢” 矢地裕介とPXCフェザー級タイトルマッチで拳を交える。この勝負はかなりの長丁場となった。

1Rは執拗にヴォルカノフスキーがタックルに行き、テイクダウンを狙うが、矢地も何度も立ち上がり、飛び膝やグラウンドでのエルボーで対抗していく。

2R、矢地が上になりパウンドを落とす場面や、ラウンド終盤にはアームロックを仕掛けてくる局面もあり、矢地の多彩な攻撃のバリエーションにヴォルカノフスキーはやや苦戦を強いられる。

3R序盤も矢地のパワーにやや押されている様子だったが、中盤で矢地をテイクダウンし、ハーフガードで上になると、強烈なパウンドを次々に叩きつけ、矢地の精神と体力を削っていく。後半で矢地が上になるが、ヴォルカノフスキーが上手く矢地をコントロールして再び上をとりパウンドを打ち始めたところでラウンド終了。

4Rが始まって早々に、ヴォルカノフスキーがラグビー仕込みの鋭いタックルでテイクダウンを奪い、矢地の顔面に壮絶なパウンドの嵐。

更には全体中をかけた肘を何発も矢地の顔面に叩きつけ、いつ試合がストップされてもおかしくない状況に。痛みに悶える矢地の背後に回り、もう逃げる気力も無い矢地の横面にダメ押しのパウンド連打。ここでストップがかかり、ヴォルカノフスキーのTKO勝利となった。

ここまでヴォルカノフスキーを苦戦させた日本人選手、矢地裕介に敬意を表してヴォルカノフスキーは

「上を取られるなんて思わなかった。彼は凄く大きなフェザー級ファイターだ。皆、愛してるよ。オーストラリアに帰るぜ」

と興奮気味に語った。

その後、PXCのタイトルを一度防衛した後にオーストラリアの団体、Wollongong Warsのライト級タイトルを獲得し、各地のMMA団体のタイトルを総ナメにしていく。

しかし、いくら王者とは言え、あくまでもローカル団体のタイトル。すでに結婚し、生まれたばかりの子どももいる家族を支えていたヴォルカノフスキーにとって、当時のファイトマネーは充分では無かった。

経済的に自立が難しく、当時は母親と同居もしていたようだ。

一刻も早くベラトールやUFC等のメジャー団体で試合をしたい所だが、待てど暮らせどオファーが来ない。

そこでヴォルカノフスキーは2016年UFCへの参戦を自らのSNSでアピールする作戦に出た。2016年始め頃から#signvolkanovskiというハッシュタグを使い始め、徐々にこのタグを使用するファンも現れた。

“いつ俺たちはアレックス”ハルク”ヴォルカノフスキーの試合をUFCで見られるんだ?”

”UFCメルボルン大会にはこの男が必要だ”

懸命なキャンペーンが功を奏して、日を追うごとにSNS上で人々の声は高まり、ついにUFCからお呼びがかかる。

大王のUFC参戦

華々しいデビュー

待ちに待ったオファーだったが、試合予定だった10月25日の1週間前、対戦予定だったBJ・ペンが怪我により試合をキャンセルし、このカードは流れてしまった。

カードが組み直され2011年11月26日、日本人選手、粕谷優介を迎え、ようやくデビューが決まる。

UFCへの移籍と同時に、ニックネームを ”ハルク” から ”ザ・グレート” に変更する。

試合前には

「俺はUFCに入ることだけを考えているのではなく、常にチャンピオンになる為に行動している。日々レベルは上がっているし、ベストな状態で戦えると思う。いずれは自分がベルトを持っていると確信しているよ」

と実はオーストラリアからはUFCのチャンピオンが当時一人も輩出されおらず、ヴォルカノフスキーはその第一号になるという夢を熱く語った。

彼の父の生まれ故郷であるマケドニアでも、大きく彼のUFC参戦は取り上げられ、「マケドニアの雑誌に載ったりしているんだ。僕の最大のファンの一人はマケドニア人だろう。彼らはいつも僕を応援してくれるんだ。彼らはいつもFacebookでマケドニア語で話しかけてくるんだけど、僕は理解できないから、父に訳してもらってるんだ」。

と誇らしげに語った。

対する粕谷はMMAに突如現れた若き彗星。MMA戦績9勝2敗で多くの強豪達を破ってきている。

しかし、粕谷は、試合に対してはやや弱気で

「ヴォルカノフスキーに関しては、これはフランク・カマチョと戦った時と同じで、勝つイメージがわかないです。

矢地(祐介)君にあんな風に勝ってしまうなんて。でも、勝つイメージがわかないことが逆に良いかなって思ってもいます」

語気は弱いが、話に出て来たフランク・カマチョもUFCで活躍している選手、その選手を破っているだけに侮れない相手だ。

そしていよいよ試合開始のブザーが鳴る。

1Rはテイクダウンの奪い合いでスクランブルの展開が多かったが2Rに入るとヴォルカノフスキーがプレッシャーを強め、テイクダウンを決めると、ここからは完全にヴォルカノフスキーの時間。

矢地の時に見せたような強烈で執拗なパウンドで粕谷を叩きのめし、レフェリーストップ。全世界の格闘ファンに自らの圧倒的なパワーを見せつけて、華々しいデビューを飾った。

試合後、ヴォルカノフスキーは「僕は常にフィニッシュを狙っているんだ。今それを証明できたと思う。多くの選手が一本を狙う展開でも、僕はヘビーショットを狙うし、今回もそういう展開になったけど、やはりKOでフィニッシュしたかった。彼より僕の方が強いと思ったからいけると思ったんだ」

と、如何なる時でもフィニッシュを狙うアグレッシブさを観客と、UFC会長のディナ・ホワイトにもアピールした。

止まらない破竹の勢い

その後、日本の数々の団体でタイトルを獲得し、幾多の強豪選手をその拳で沈めて来たハードストライカー、”破拳王子” こと、廣田瑞人とのカードが決まる。

試合前には「僕はまだ28歳だ。MMAを本業にするようになってからまだ数年しか経っていない。伸びしろはまだまだあるし、自分自身に大きな期待を持っている。UFCはデビュー戦、そして今回と2試合続けてメインカードに出場させてくれた。その期待に応えるよ」と語る。

一方廣田は「(2人のファイトスタイルは)噛み合うと思います。根性で負けないで、最後に上を取っている方が勝つ。パンチが入ったら、勝負を決めにいきます。できれば倒したいです。背が低いからパンチは当たると思います。良い勝ち方をして、日本大会につなげたいです。アウェイですけど、しょうがない。やります!!」

と、勝利のヴィジョンをしっかり見据え、打ち合いで勝負に行く姿勢を見せた。

2017年6月11日に試合は行われた。

ヴォルカノフスキーの残虐な膝、エルボー、ローキックにカウンターパンチが次々に廣田に入り、廣田は何度も床に倒れるが、最後まで試合を諦めず3Rにはヴォルカノフスキーを投げ飛ばし強烈なパウンドをお見舞いする所も見せ、試合は判定にもつれ込んだ。結果は何度も打撃でのダウンを取ったヴォルカノフスキーが3-0で勝利した。

ヴォルカノフスキーの快進撃は止まらない。この後の2戦も危なげない勝ち方で、UFCでの連勝を4に伸ばし、いよいよフェザー級のタイトル候補としてヴォルカノフスキーの名前が格闘ファンや関係者の間で囁かれ始めた。

世界の頂に向かって

勿論ヴォルカノフスキー本人もその手ごたえは感じているようで、UFC4戦目でダレン・エルキンスに勝利した後、これまでに二度タイトルに挑戦しているチャド・メンデスを次の対戦相手に指名した。メンデスは王者ジョゼ・アルドに二度敗れてはいるものの、世界の強豪が集うUFCのリングで、タイトルに二度挑戦出来ただけでも、充分バケモノである。

UFC4戦目でこれだけの実績のある相手を指名し、それが叶う事は稀だが、ヴォルカノフスキーのUFC無敗という実績、アグレッシブなファイトスタイルが評価されたのか、このカードは実現する。

このカードの実現にヴォルカノフスキーも驚きを隠せないようだ

「それにしても、ダレン・エルキンスとの試合や今回の試合では、あれよあれよという感じで、期待通りの展開になった。とは言えやはりこの試合が決まったときは驚いたよ。トップ10の選手たちは、ランキング外の選手とは戦いたがらないんだ。彼らは僕を見て、”こいつはなかなかヤバいヤツだ。ランキングに入ってないのに、こんなやつと戦う必要があるか?と思うんだ」と驚きを表現する。

確かに上位トップ10のファイターにとって、ランキング外の強敵との戦いはリスクでしかない。勝ってもランキングが上がるわけでもなく、かと言って負けるとランキングを大きく下げる事になりかねない。

当然チャドは他の選手との試合を希望したが、UFCはこのカードを優先した。

「UFCは僕の事を何か大きな存在として見ていて、その理由は12月29日に世界中に知れ渡ることになるんだ」。

と、ヴォルカノフスキーもUFCからの期待を肌で感じているようだ。

メンデスはUFCでの戦績において、ほとんど勝ち星をパンチによるKOに挙げている、これまでで最も強烈なストライカー。試合も相当な激闘が予想された。

試合が始まると、序盤は互角の戦いが続いたが、ベテランのメンデスが強烈なパンチでヴォルカノフスキーをダウンさせ、ハードヒッターとしての力を証明する。ヴォルカノフスキーも反撃を試みるが、タイミングよくテイクダウンを織り交ぜ、ヴォルカノフスキーにペースを譲らない。

2Rに入るとメンデスが更に攻勢を強め、その丸太の様な腕から繰り出されるヘビーショットがヴォルカノフスキーの顔面に炸裂し、ヴォルカノフスキーは再びダウン。なんとか立ち上がり態勢を立て直すも、後半にはメンデスの猛烈なタックルでテイクダウンを取られ、バックマウントも取られて危機的な状況に、目から激しい出血もあり、顔面が赤く染まる。

 

しかし何とか窮地から抜け出し、スタンディングに戻ったヴォルカノフスキー。ここからが凄かった。

メンデスをケージの端に追い込み、強烈なボディへの膝からのワンツーの連打、距離を取ろうとするメンデスに内臓が飛び出しそうな痛烈な左ボディを入れた後、メンデスの分厚い身体をケージな端に吹き飛ばすほど強烈な右アッパーでマットに沈め、追撃に行こうという所に、レフェリー大慌てで滑り込んできて試合をストップ。

この衝撃的なKOに観客は狂喜乱舞。

UFC 232
画像URL:https://imageio.forbes.com/specials-images/imageserve/5df1d6bab269e900077e416f/UFC-232/960×0.jpg?format=jpg&width=960(Forbesより引用)

ヴォルカノフスキーはマイクを取り

「メンデスはこの階級で最もタフな選手の一人だが、この試合の後に僕がトップ5に入ると思っていた。彼は偉大な選手にしか負けたことがないが、今回はもう一人の偉大な選手、”アレキサンダー・ザ・グレート “に負けたんだ」と、歓喜する観客に向けて誇らしげに語った。

生きる伝説との世代交代

ついにUFCトップコンテンダーの一人として頭角を表したヴォルカノフスキー。ここからはタイトルショットに向けて、非常に重要な局面となる。

注目の次戦では、フェザー級史上最強と称される、UFCの王座を7度も防衛した”ザ・キング・オブ・リオ” ジョゼ・アルドとのカードが組まれた。

生ける伝説と言えるアルドについて、ヴォルカノフスキーは

「もちろん、彼は非常に危険で爆発的な選手であることは間違いない。だが僕は最も危険な相手のために準備しているんだ。また、危険と同時に彼には弱点もある。自分が有利になる瞬間が来るはずだ」

「精神的な準備はできている。もちろん、観客はアルドに熱狂するだろう。それと同時に、僕はその流れを遮断するのが得意だ。やるべきことは決まっているし、それをやり遂げる。この勝利は自信になる」と冷静に分析して勝利を見据える。

史上最強の称号を持ってはいるが、ここ数年はかつてのキレと勢いが無くなったと言われているアルドは往年のレジェンドを引き合いに出して語る

「タイガー・ウッズはトッププレイヤーからどん底に落ちたが、そこに戻るために何が必要かを知っていた。ロナウドもそうだった。彼はいろいろな問題を抱えてたし、人々に「終わった」と言われていたが、復帰してワールドカップで優勝した。俺はそんなアスリートに刺激を受けているんだ」

そしてヴォルカノフスキーについては

「私には能力があり、何をすべきかを理解している。だから、私はただ自分の仕事をし、勝つと信じています。ヴォルカノフスキーはとてもアグレッシブな選手で、彼のことをたくさん勉強してきたけど、何をすべきかは分かっている」

と、自らの力を信じて勝負に挑む。

試合は2019年5月11日、アルドの故郷ブラジルで行われた。

会場全体がアルドを応援するムードの中、1Rは淡々とした展開で試合は進む。互いに一発で試合を決めるパワーの持ち主なだけに不用意には飛び込めず、単発のジャブやフックで相手の出方を伺う。後半にヴォルカノフスキーがアルドをケージの端まで押し込み、アルドの下半身に細かく膝蹴り。アルドはヴォルカノフスキーの強烈な圧力に抵抗できない。立ち技に戻るがここでラウンド終了。

2R後半からギアを上げて行くヴォルカノフスキー。大振りのフックを振り回しながら距離を詰め、アルドをケージに押し込み、左足に執拗な膝の連打。アルドが流石に嫌がる様子を確認すると、次は右足に膝を連打し、アルドの機動力を奪っていく。アルドにまともな反撃もさせぬまま最終ラウンドへ。

3Rに入ると、アルドの攻撃に的確にカウンターパンチを入れ、打撃でもヴォルカノフスキーがリードする。組みついてアルドをケージに押し込むと、再び両足に膝の連打。終始ヴォルカノフスキー優勢の流れで試合は終了。

ヴォルカノフスキー・アルド
※画像URL:https://library.sportingnews.com/styles/crop_style_16_9_desktop/s3/2021-08/volkanovski-aldo_6k8y58foyubh1seydszq85wwe.jpg?itok=xOKWdqOs(The Sporting Newsより引用)

判定は全会一致でヴォルカノフスキーに軍配が上がった。

試合後にヴォルカノフスキーは

「パンチを打ち込みたかったから、長い間、立って打ち合ったんだ。”やあ、ブラジルにありがとう”と言いたかったんだ。君が望んでいたような試合でなかったのは残念だ。アルド、リスペクトしかないよ。本当にありがとう」と、バチバチの打ち合いが出来なかった事が心残りな様子だったが、アルドとブラジルのファンに対するリスペクトを表明し、

「そして、本題に入ろう。僕は100%次のタイトル候補者だ。今、僕はトップ3ではUFC無敗だし、1位になるべきだろう。セットアップしよう。オーストラリアでやるのもいいね。素晴らしい試合になるだろう。実現させよう」とフェザー級タイトルに王手を宣言。

アルドは後日インスタグラムで

「私の人生で最もひどい試合だった。相手の優位に立つ事が出来ず、また私が本来やるべき事も全くできず、とても悲しい」という内容の投稿をアップし、この敗北が如何に痛烈であったかを語っている。

ジョゼはこの後、さらに2戦続けて敗北を喫するが、ヴォルカノフスキーの圧倒的な強さはアルドの心までも折ってしまったのか。

最大のライバル

まさに世代交代との象徴となったこの一戦の後、

ついに2019年12月14日、UFC世界フェザー級タイトルを懸けたマックス・ホロウェイとのカードが組まれる。

伝説的ファイター、アルドを破って、より自信を強めていくヴォルカノフスキーは試合前、

「私は常に自信を持っているが、ここ数戦はさらに自信を深めることができた……自分のスタイルを完全に変えて、史上最高のファイターの一人と渡り合えたんだ。僕はそれをやってのけたんだ。僕は今、別の次元にいるんだと証明されたんだ」

と胸を張って語った。

ホロウェイとの試合展開については

「前回は安全策を取り、あのような試合展開になったが今回は違う。ホロウェイは僕を破壊するためにジャブを見せながら、チャンスを狙ってくるだろう、だがそう簡単にはいかない」

「今回は花火が見られるよ。彼は自分の有利なポジションを狙うだろうが、そこにあるのは強固なレンガの壁だ」

と、前回以上に激しい試合を見せる事を宣言した。

しかし世間では、ホロウェイがこれまで破って来た、全盛期のジョゼ・アルドやチャールズ・オリベイラと比較し、ヴォルカノフスキーがこれだけの圧勝劇を繰り広げてもまだホロウェイの方が上だとする見方が多かった。

一方、ヴォルカノフスキーが所属するシティ・キックボクシングのヘッドコーチ、ユージン・ベアマンは語る。

「我々は全くそう思わない。それは偏見のせいかもしれないが、我々は他の誰も持っていない、この男の能力を直接肌で感じているのだ。彼がボディロックをしたときの感じ、彼がパンチを打ったときの感じ、彼が執拗に攻めてきたときの感じ。外から見ているとわからないことがある」

ヴォルカノフスキーの打撃コーチであり、同じくシティ・キックボクシングのUFC選手であるブラッド・リデルは

「彼は異常だ。彼と一緒に練習すると、それを実感できる。彼は信じられないほど強く、健康で、知性がある」

と語り、直接対峙した者だけが分かる、ヴォルカノフスキーの強さがある事をチームのスタッフが明かした。

しかし、そんなヴォルカノフスキーを眼中に無いかの如く、ホロウェイは試合直前にも関わらずインタビューで、コナー・マクレガーへのリスペクトの気持ちや、ハビブ・ヌルマメゴドフとの試合の実現について語り、

さらに「アレックスの実力を疑問視する部分が山ほどあって、その答えを見せるのが待ち遠しい。わくわくと興奮でいっぱいだよ」と余裕を見せる。

そして来たる12月14日、決戦の時。

試合は5ラウンドに及ぶ死闘となった。

ヴォルカノフスキーはローキックでホロウェイの足を奪いながら、時折距離を詰めて顔面にヘビーショットを打ち込んでいく。2R終了前に、左足を痛めたホロウェイがスイッチしてサウスポースタイルへ。

しかしヴォルカノフスキーはお構いなく今度はホロウェイの右足を痛めつける。サウスポーにスイッチしてからホロウェイのテンポは狂い、攻撃の糸口が掴めない。

終盤に入って再びオーソドックスに戻すと、コンビネーションからのアッパーでヴォルカノフスキーにプレッシャーをかけていくが、全体的にヴォルカノフスキーが終始打撃でホロウェイを圧倒する流れで試合は終了。

判定は3-0でヴォルカノフスキーが勝利し、UFC無敗での世界フェザー級王者、そしてオーストラリア出身で初のUFC王者という、大きな勲章をその手に納めた。

UFC 251: ヴォルカノフスキー v ホロウェイ
※画像URL:https://cdn.vox-cdn.com/thumbor/pNHHAi_t1UQF8LFA4STaM0WtmH4=/0x0:4016×2719/1820×1213/filters:focal(2475×128:3117×770):format(webp)/cdn.vox-cdn.com/uploads/chorus_image/image/71020596/1255676061.0.jpg(MMA MANIAより引用)

試合後にマイクを取ったヴォルカノフスキーはシンプルだが強烈なメッセージを残した。

「言っとくけど、この先ずっと僕がチャンピオンだ」

しかし、ホロウェイも黙ってはいない。

「俺はまだ28歳だ、成長する一方なんだ。また戻ってくるよ」とタイトルに再挑戦する意向を示した。

疑惑の判定

実は、ホロウェイとしてはヴォルカノフスキーに対するリベンジに固執していたわけでは無く、タイトルが取れれば相手は誰でも良かったそうだが、ヴォルカノフスキー自身がホロウェイとの再戦を望み、UFC陣営はダイレクトリマッチを即決定した

ヴォルカノフスキー曰く、

「フィニッシュを狙うし、実際にそうなると思う。僕は彼をファイターとして、彼という人間を尊敬している。彼は耐久性のあるファイターで、素晴らしくタフだ。だから、彼を倒すことは本当に王者としての証になるし、僕がいるこの王座を更に固める事になるんだ」

と語り、ホロウェイをKOで倒し、王者としての地位を更に強固なものにしたいという気持ちを語る。

だが、この再戦が予定された2020年夏、コロナウィルスのパンデミックにより、開催は危ぶまれ、トレーニング環境も厳しいものとなった。

ホロウェイは試合直前まで殆どスパーリングを行う事が出来ず、練習はコーチとズームを通してコミュニケーションを取りながら行っていた。

スパーリングが大好きだと言うホロウェイだが、この厳しい練習環境の中でも学んだ事があったようだ。

「いつもはしつこい怪我があるんだ。でも今回は新しい怪我はなかったよ。このキャンプで目が覚めたんだ。もうそんなにスパーリングをする必要はないんだ」

スパーリングで身体のどこかを痛めた状態で試合に挑む事の多い格闘家にとって、無傷の状態で試合に出る事はとても新鮮な事なのだろう。

一方ヴォルカノフスキーも、本拠地シティ・ボクシングがあるニュージーランドに渡航する事が出来ず、オーストラリアにある自宅近くのジムで、トレーニングやスパーリングをして調整した。

2020年7月11日、厳格なコロナ対策の中、無事に試合は開催される。

前回よりもアグレッシブに前に出て手を出すホロウェイ。1R終わりにはホロウェイの右ハイキックがこめかみをかすめ、ヴォルカノフスキーは一瞬グラつく。

2Rに入ると、これまでに互いが細かく出していたローキックにより、両者の膝の上が真っ赤に腫れあがっている。2R終了間際、踏み込んで攻撃に出るヴォルカノフスキーに、カウンター右アッパーからの左フックを叩きつけ、ヴォルカノフスキーはマットに一瞬膝をつく。

やや劣勢に見えたヴォルカノフスキーだが、3Rから息を吹き返し、ボディを絡めたパンチのコンビネーション、強烈な左のカウンターでホロウェイのライフを削っていく。

4R、ヴォルカノフスキーの鋭いジャブでホロウェイは鼻骨の当たりをカット、ラウンド中盤にはやや疲れが見えるホロウェイから綺麗なテイクダウンを取る。

最終R、立ち技ではホロウェイが度々カウンターパンチをヒットさせリードするが、ヴォルカノフスキーは組みに行って二度のテイクダウンを取り、試合終了。

見方によってはどちらが勝ってもおかしくない激戦だったが、テイクダウン数、有効打数で上回ったヴォルカノフスキーがスプリット判定で勝利。UFCフェザー級タイトル初防衛に成功した。

しかし、多くの観衆やファンには何度もダウンを奪ったホロウェイが有利だったという見方が多く、この試合は”疑惑の判定” とされ、互いに遺恨を残す結果となった。

コロナからの復活

2021年3月27日にブライアン・オルテガを相手に、二度目の防衛戦を行う予定だったヴォルカノフスキーだったが、試合一週間前の2021年3月20日コロナウイルスの陽性が発覚。試合は延期となる。

この速報を受けて、対戦予定だったオルテガがヴォルカノフスキーに向けて

「私はあなたがコロナになろうが、何があっても戦う男だと言う事を知っています。あなたはそういう人だ。そんなあなたを尊敬している。試合はまた組み直せばいい。早く良くなってほしいし、克服してほしい」

と、暖かいエールを送った。

病状はやや重く、肺全体に感染が広がり入院を余儀なくされたが、何とか回復し、2021年9月25日にオルテガとの試合は実現する。

この間、オルテガとヴォルカノフスキーは「The Ultimet Figther 」という番組に出演し、敵対するチームのコーチ同士として、番組上でも競い合い、罵り合うようになり、その影響もあってこの試合は大きな注目を集める。

オルテガは幼い頃からキックボクシングと柔術を学び、KOも一本も狙えるオールラウンダーで、ホロウェイに敗れるまで無敗の14連勝を記録していた、紛れもないトップファイターだ。

ここしばらくはストライカーとの打ち合いが続いていたヴォルカノフスキーにとって、グラウンドテクニックとディフェンス技術が試される試合となるだろう。

序盤の2ラウンドは一進一退の攻防が続いたが、3R、やや打撃で優勢に立ち始めたヴォルカノフスキーのローに合わせてオルテガが右フックを出しながら飛びつき、一瞬のうちにギロチンチョークの体勢に。ヴォルカノフスキーは苦悶の表情を浮かべながらも必死にもがいて抜け出し、逆に激しいパウンドをお見舞いするが、オルテガは顔面を血に染めながらも今度は三角締めに。紙一重でこの危機を逃れたヴォルカノフスキーはマシンガンの様なパウンドを約25秒間オルテガに浴びせ続ける。オルテガにとっては地獄の25秒間だったに違いない。

4Rもオルテガがギロチンチョークを極め、あわやという瞬間があったが、ヴォルカノフスキーは親指を突き出し「大丈夫だ」とレフェリーにアピール。この状況でなんという精神力だ。そしてラウンド中盤以降は再びオクタゴンの中はヴォルカノフスキーのパウンド地獄に。

最終Rは互いに満身創痍の中、オクタゴン中央で死力を尽くしたどつき合い。互いに全てを出し切った所で試合終了。

総合的に大きなダメージを与えていた”ザ・グレート” がこの死闘を3-0で制し、二度目の防衛を果たした。

試合後、ヴォルカノフスキーは

「僕は普通の人間だ。ただ、ハードワークが私を今の地位に押し上げたんだ。疑っている人たち、僕は何度でもあなたたちの間違いを証明し続けるよ」

と、ホロウェイ戦での判定が間違いだと指摘する人々を牽制し、オルテガについては

「彼はいい選手だ。想像していたよりも遥に強くなって戻ってきた。私が彼に言ったいくつかの暴言が馬鹿げていたって事を、彼は証明したんだ」と、彼に向けて放った侮辱的な言葉を撤回した。

次戦では、挑戦者ジョン・チャンソンを3Rにパウンドで消耗させた後、4Rに強烈なワンツーでTKO勝ちを納め、UFCの無敗連勝記録を11に伸ばし、ヴォルカノフスキーが正真正銘の王者だという事を世界にアピールする。

ライバルとの決着

だが、やはり真の王者と世界が認めるにはどうしてもやっておかなければならない事がある。

マックス・ホロウェイとの三度目の勝負である。

「私がどう思うかは重要ではないが、メディア、世界、人々は分かっている 、 世界の80〜90パーセントは私が勝ったと思っているよ」

ホロウェイがこう語るように、世間の大半はあのリマッチの勝者をヴォルカノフスキーだとは認めていない。さらにこう続ける

「どちらの試合も僕が勝ったと思ってる。特に2戦目はね。ダナ・ホワイト、そしてUFCファイターの半分が言ったように、彼らは私が十分にやったと思った。私が勝ったと思っていたんだ。あれは誰もが納得いくようなジャッジだったか?それが僕らが今ここに居る、3戦目を必要とする理由なんだ」

ヴォルカノフスキーも今回こそは確実に実力の差を証明したい。

「この階級を卒業するつもりだ。マックスにもう一度勝って、自分が別のレベルにいることを証明しなければならない。この試合の後、もう一つのベルトが欲しいんだ」

そう、ヴォルカノフスキーの目線は二階級制覇を見据えているのだ。

ホロウェイとしっかり決着をつけ、空位となっているライト級タイトルへ挑戦するのが彼の計画だ。

2022年7月2日、ヴォルカノフスキーはまさに王者としての実力を証明した。

圧倒的なスピードと反応でホロウェイの攻撃をことごとく回避し、代わりにカウンターをお見舞いしていく。テイクダウンも許さず、スタンディングで終始ホロウェイをリード。

実はヴォルカノフスキーは2Rに左の拳を骨折していたのだが、そんな様子をおくびにも出さず、風を切るような高速ジャブ、左右の強烈なフックと猛攻を仕掛け、ホロウェイ顔面はどんどんボコボコに形が変わり、血に染まっていく。

アレクサンダー ヴォルカノフスキーは、土曜日に T-モバイル アリーナで開催された UFC 276 フェザー級チャンピオンシップの試合中に、マックス ホロウェイの顔に頻繁にダメージを与えました。
※画像URL:https://s7d2.scene7.com/is/image/TWCNews/ufc_276_volkanovskihollowayapphoto_07032022?wid=1250&hei=703&$wide-bg$(SPECTRUM NEWSより引用)

ホロウェイが起死回生を狙ってテイクダウンを狙うが、ヴォルカノフスキーはビクともしない。最後までホロウェイに文字通り手も足も出させず、横綱相撲で全会一致の判定勝利。ついに誰も口を挟む余地のない、真のフェザー級王者となった!

試合後インタビューで

「この試合で一つの章が終わった」とヴォルカノフスキーは語り始める。

「マックスのことは尊敬している。試合後、彼と話をして、こう言ったんだ。君が僕をレベルアップさせてくれた。そしてここまでのファイターになれたんだ」

「人々は僕を疑い続けるだろうが、それもいいだろう。僕は負け犬になるのが好きなんだ。僕のキャリアはそこから生まれたんだ。人々は僕を疑い続ける、そして僕は皆が間違っていることを証明し続ける。ケージの中に入るたびに自分を証明し続けるんだ」

そして最後に

「ベストの僕をまだ見てないだろ 、限界なんて無いんだ」

と付け加えた。

ホロウェイとの試合で骨折した拳の治療のため、年内の試合は難しそうだが、恐らく来年はライト級のベルトを狙って階級を上げて来るだろう。その時にUFCライト級の王座についているのは、チャールズ・オリベイラか、ダスティン・ポイエーか、はたまた新たな伏兵か。いずれにしろ ”ザ・グレート” が参戦するとなると、ライト級タイトル戦線はまたまた混戦模様となりそうだ。

これからも”ザ・グレート”アレックス・ヴォルカノフスキーからまだまだ目が離せない。

 

ヴォルカノフスキーの知りたいトコ!

家族との固い絆

世界で最もタフな職業のひとつである総合格闘家の頂点に立つヴォルカノフスキーは、アリアナ(7歳)とエアリー(5歳)という幼い娘たちを持つ献身的な父親でもある。

「僕は “FAMILY “というタトゥーを入れている。子供が生まれる前、かなり若いときに入れたんだ。個人的に何か意味があるものが欲しかった。僕は家族が大好きで、家族が僕の誇りなんだ。若い頃から「子どもは4人産む」と思っていたよ。今は2人の女の子を産んで、「もう一人産むか」って感じだけど。2人でも大変なのに…」

「最初の子供が生まれる前にUFCに出るって自分に約束してたんだ。でも、それは叶わなかった。その時はなかなか厳しい状況で不安だらけだった。でも、それ以上にモチベーションも上がったんだ。

当時、僕たちは経済的に苦しかった。母親の家に住んでいて、子供もいて……大きなプレッシャーを感じていたんだ。妻は僕を信じてくれていたけどね」

そんなヴォルカノフスキーに寄り添う妻、エマ・ヴォルカノフスキーは、インスタグラムでモデル業も行う長身の美人妻だ。

このステキな家族を心の支えにヴォルカノフスキーは更なる高みへ突き進む。

 

UFCミドル級チャンピオン、イスラエル・アデサンヤとの友情

イスラエル・アデサンヤは同じシティ・ボクシングのチームメイトでもあり親友でもある。

アデサンヤはこれまでミドル級では無敗のチャンピオン。唯一の敗北は、ライトヘビー級に階級を上げていきなりのタイトルマッチの時だけだ。

ヴォルカノフスキーはアデサンヤをUFCで最も偉大なストライカーと称え、アデサンヤも深いリスペクトをヴォルカノフスキーに示す。

アデサンヤの守りに入った試合に、ファンから批判が集まった時には

「なぜチャンピオンはリスクを負わなければならないのか?相手が待っているのに 突進する必要があるか?」と彼を擁護した。

この最強の親友の存在が、ヴォルカノフスキーを更なる高みに押し上げた事は間違いないだろう。

イスラエル・アデサンヤとアレクサンダー・ヴォルカノフスキーがUFC 276への賭けに揺れた
※画像URL:https://i2-prod.mirror.co.uk/incoming/article27339175.ece/ALTERNATES/s615b/0_Screenshot_2022-06-27_at_151721.jpg(Mirrorより引用)

 

ヴォルカノフスキーの強さの秘訣は肉!?

ヴォルカノフスキーのインスタを覗くと、食べ物を食べるときにはほぼ100%の確率で肉を焼いて食べている。

 

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その中でもトマホークステーキが大のお気に入りで、分厚く柔らかそうなステーキを自ら焼いて食べている姿も投稿している。

ホントにこんなに肉ばかり食べて飽きないのかとも思うが、この食生活がヴォルカノフスキーの強靭な肉体とパワーを支えているのだろう。

 

まとめ

ここまで ”ザ・グレート” アレックス・ヴォルカノフスキーのストーリーを見てきたが如何だっただろうか。幼少時代はレスリングに励み、14歳からはラグビー一筋でリーグ最優秀賞を獲得するなど、類まれなる運動神経を見せ。総合格闘技のデビューは23歳とやや遅めだったものの、破竹の勢いで連勝街道を突っ走り、UFCへの参戦を#signvolkanovskiというハッシュタグを使ってSNSでアピールし、見事UFCデビュー。

マックス・ホロウェイを破り無敗の王者となったが、なかなか真の王者と認められず、周囲が間違っている事を証明するために更にトレーニングに励み、ついにホロウェイを圧倒し真のチャンピオンである事を世界に知らしめた。

家族や仲間を大切にし、対戦相手を心からリスペクトするその紳士的なキャラクターは、今や世界から愛され、尊敬の眼差しを受けている。

今後はライト級のキャリアを望んでいるヴォルカノフスキー。もしチャールズ・オリベイラと対戦するような事があれば、UFCを超えたあらゆる格闘技界注目のカードとなるだろう。

彼は真の王者である事をオクタゴンの中で証明したが、

「ベストの僕をまだ見てないだろ 、限界なんて無いんだ」

今度はこの言葉を是非オクタゴンで証明してほしい。彼がどこまで成長し、どこまで登り詰めていくのか、楽しみはまだまだ尽きない。そんな ”ザ・グレート” アレックス・ヴォルカノフスキーをこれからも皆さんと応援していきたい。

※アイキャッチはUFCの公式HPより引用